物流コンサル道場「温故知新編」

(登場人物)
大先生  物流一筋三十有余年。体力弟子、美人弟子の二人の女性コンサルタントを従えて、物流のあるべき姿を追求する。

体力弟子 ハードな仕事にも涼しい顔の大先生の頼れる右腕。

美人弟子 女性らしい柔らかな人当たりで調整能力に長けている。

編集長  物流専門誌の編集長。お調子者かつ大雑把な性格でズケズケものを言う。

女性記者 物流専門誌の編集部員。几帳面な秀才タイプ。

 
1部 黎明期編(1956年〜1973年)

 

1回 物流の歴史を振り返ってみよう

英語の「Physical Distribution」の訳語として「物的流通」という言葉が日本に登場したのは、昭和39年のことだった。その6年前の昭和33年に財団法人日本生産性本部は、日本初の米国物流視察団の報告書を発行している。我が国における物流研究の始まりであった。

 

◆物流の「故きを温ね新しきを知る」

 業界誌の編集長が女性の記者を伴って大先生事務所を訪れた。しばらく前に、大先生と一杯やっているとき、大先生が語る昔話を聞いていて、はたと新企画を思いついたらしい。その新企画というのは、何て言うことはない、物流の歴史を振り返ろうという単純な話だ。

 彼が言うには、「いまのような混迷の時代には歴史に学ぶことが必要なのです。いま求められているのは、まさに温故知新です」ということのようであるが、何が混迷なのか、なぜいま温故知新なのかについては大先生が問い質しても、要領の得ない答えしか返ってこなかった。

 いずれにしろ、酔っぱらった勢いで「物流の歴史を対談形式で振り返る連載をやりましょう」ということが決まった。「歴史の証人も数少なくなってきてますし、早くしないと‥‥」と編集長が付け足すのを聞き、大先生が「早くしないと何だって?」と聞き返すが、これまた答えはなかった。

 そんな経緯で、編集長たちの来訪に至ったのである。

「酔っぱらいの戯言だと思っていたけど、本気でやるんだ?」

 大先生の言葉に編集長がむきになって答える。

「何をおっしゃるんですか。たしかに酔っぱらってはいましたが、頭脳は明晰でしたから、もちろん本気です。その証拠に、あのとき先生が酔っぱらいながら、生産性本部の何とかっていう視察団の報告書を持って来いってわけのわからないことをおっしゃってましたが、何とか探して、それもちゃんと持ってきました。なっ?」

 編集長が隣の女性記者に確認する。彼女が頷いて、鞄から分厚いコピーを取り出す。それを見ながら、大先生が「それで、こちらの方はどなた?」と聞く。編集長が「あれっ」という顔で慌てて紹介する。

「ご紹介が遅れました。うちの編集スタッフです。この新しい連載の資料集めと原稿のまとめを担当させますので、何でもご指示ください」

 女性記者が立ち上がって「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる。大先生が「こちらこそ」と応じて、「それでは、うちの連中も紹介しておこう」と言って、弟子たちを女性記者に引き合わせる。こうして、総勢五人で賑やかな対談が始まった。

 

◆「流通技術専門視察団」とは?

「その報告書のようなものは何ですか?」

 美人弟子が興味深そうに女性記者に聞く。女性記者が、それをテーブルの中央に押し出し、「日本で初めて派遣された物流視察団の報告書です。あっ、視察先はアメリカです」と、なぜか自慢そうに答える。

 表紙の右肩に「PRODUCTIVITY REPORT33」とあり、中央に「流通技術」、副題に「流通技術専門視察団報告書」と書いてある。刊行は、財団法人日本生産性本部となっている。

「その視察団については、前に聞いたことがあるような気がしますが、いつ頃のものなんですか?」

 体力弟子の質問に女性記者が頷いて、ページをめくって答える。

「ここにありますように、出版されたのは昭和33年の2月です。ただ、視察自体は、昭和31年の10月から11月にかけてアメリカに6週間行っていたようです。あっ、西暦で言うと、昭和31年は1956年です」

 女性記者の付け足しに、編集長がすぐに反応した。

「ここは全員、昭和生まれだから、西暦より昭和の方がぴんとくるんじゃないの?」

「でも、昭和といっても、その頃はまだ生まれてませんから、ぴんとは来ませんよ。編集長は生まれていたんですか?」

「ばか、生まれているのは先生だけだよ。おれは30年代後半。おまえは40年代前半だろ?」

「何言ってるんですか。私は60年代です‥‥」

「冗談だよ」

「あのさ、そういう会話は会社に帰ってからやってくれ。それはそうとして、そうだなー、年代は、西暦で話すのか元号で話すのか、ちょっと悩ましいとこだな」

「まあ、適当に織り交ぜてやりましょう」

 大先生の言葉に編集長がいい加減な答えを出す。女性記者が、ちょっと呆れたような顔をするが、特に何も言わない。編集長が大先生に、当然知っているだろうという感じで質問する。

「ところで、先生、この時代は、時代背景という点ではどんな状況だったんですか?」

「知らん。おれは生まれていたけど、その頃はまだ小学生だったから。ただ、歴史を振り返れば、戦後の焼け野原から朝鮮戦争の特需景気を経て、ちょうど高度経済成長期に入った頃だよ」

 昭和31年という年は、戦後日本経済にとって節目の年といってよい。この年の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と書いて、新しい時代の到来を宣言した年である。昭和48年の秋まで続く高度経済成長期の始まりの年でもある。ちなみに、ダイエー1号店が生まれたのが昭和32年(1957年)、その翌年にイトーヨーカ堂が1号店を出している。

 そんな中で日本生産性本部が流通技術研究のために米国に視察団を派遣したねらいについて、報告書において以下のように記している。

「国民生活を豊かにするために生産部門の生産性向上を図ることが必要であると同時に、流通部門の生産性向上もまた重要であるという観点から、流通問題に進んだ研究のなされているアメリカを実地に視察し、日本におけるこの問題解決を図る一助にしたい」

 このような問題意識の背景には、報告書にも記してあるが、物価に対して生産費以上に流通費のウェイトが高く、その流通費のうち物理的に物を移動する費用が半分以上あるとの認識から、「流通技術の研究は、社会経済的に重要なテーマ」と位置づけられていたことがある。

「そんな時代にその視察団は派遣されたんですね。明治の時代の進取の精神と同じような熱意と真摯さを感じます」

 美人弟子の感想に、みんなが同意の表情を見せて、大きく頷く。座が高揚感に包まれている感じだ。

 

◆「Physical Distribution」の登場

「これを読んで、先生がうちの編集長に、新連載のスタートはこの報告書にするぞっておっしゃられた意味がわかりました」

 女性記者がやや興奮気味に話す。

「えっ、なになに、すごいこと言うな。へー、どうわかったんだ?」

 編集長が、興味深そうに女性記者に顔を寄せて聞く。女性記者が、わざとらしく、顔を背けて答える。

「そんなに驚くことないでしょ。要するに、この視察団が派遣されたのは、物流を迅速かつ正確に、しかも効率的にできるようにするためには、日本としてどうすればよいのかという文字通り、わが国の物流の基盤作りに取り掛かろうとしていた時代なんです。そのヒントを求めて、その分野で先進国と言われていたアメリカに行ったんです」

「それはわかってる‥‥」

「だから、いまはそういう物流の基盤はあって当たり前と思っているじゃないですか。でも、それを構築するための取り組み、つまり、先人たちの苦労、さらには気概や進取の精神までを学ぶのが、歴史から物流を学ぶ第一歩としてふさわしいと思ったんです」

「なるほど、物流をやること自体、実は大変なことなんだぞってことを知らしめたいわけだ」

「知らしめたいなんて、そんなこと思っていませんが、私は、先人たちの取り組みに、いまの物流を考えるにあたって学ぶことがたくさんあると感じたんです」

 編集長が頷いて、独りごとのように言う。

「たしかに、物流の基盤というかインフラがなければ、物流なんかできないし、ましてや、その物流を管理するなんて発想は生まれない」

 二人のやり取りを聞いていた大先生が話を元に戻すように口を挟む。

「だいたい、いま二人は、『物流』って何の抵抗もなく使っているけど、その当時は、まだ物流という言葉は登場していない」

 女性記者がすぐに反応する。

「そうなんです。この報告書では、Physical Distributionという言葉が原語のまま紹介されていますが、訳語は与えられていないんです。カッコ書きで、物理的配給といってもよい‥‥とある程度です」

「へー、そうすると、その報告書の表題にある『流通技術』という言葉との関係はどうなるんだ?」

 編集長の問い掛けに女性記者が報告書のページをめくって、「流通技術は財貨の物理的移転活動に伴うすべての技術を指すと書いてありますから、いまの感覚で言うと、物理的な移転活動をPhysical Distributionといい、それに伴う技術を流通技術と呼ぶのではないかと思われます」

 女性記者の解釈に大先生が頷く。いまから見れば、この報告書が持ち込んだPhysical Distributionという言葉が、それまで荷造包装、荷役、保管、輸送など個別に認識されていたにすぎなかった活動を、財貨の物理的な移転にかかわる活動として統合的にとらえたという点で画期的であったといえる。

 個々の活動レベルではなく、それらの相互の関係性や組み合わせを考えるために有効な概念であったということである。当然、管理対象として存在感を持ち得る概念でもあり、後に物流管理という領域が生まれるのは、この言葉のおかげといってよい。

 このPhysical Distributionの理解、流通技術との関係については、その後、研究者の間で多くの議論が交わされることになるが、それについては省くことにする。いずれにしろ、このPhysical Distributionに「物的流通」という訳語が与えられるのは、報告書が出されてから6年後の昭和39年のことである。

 

◆「わが国物流研究の嚆矢となす」

「この報告書では、財貨の物理的な移転には、場所を変えることによって場所的な効用を生んだり、あるいは生産と消費の時間的なズレを調整するような活動という二つの面があると言ってます」

「いわゆる、場所的効用と時間的効用のことですね。経済活動や国民生活を支える重要な役割なんですが、いまは、あまり認識されていませんね」

 女性記者の説明に体力弟子が残念そうに呟く。女性記者が頷く。

「それで、この報告書は、結局、物流、じゃない財貨の物理的な移転だっけ、それについての技術を紹介しているってわけだ?」

 簡単に結論付けるような編集長の言葉に、女性記者がむっとしたような感じで、「それはそうですけど、それが結構奥深いんです」と答える。みんなが興味深そうに女性記者を見る。

 女性記者が頷いて、おもむろに鞄の中からコピーを取り出し、みんなの前に配る。みんな視線が一斉に女性記者から目の前の資料に移る。そこには、「わが国で検討すべき諸点」とタイトルが打ってあり、7つの項目が列記されている。

「これは、視察団が米国の流通技術発展の経緯を踏まえて、わが国ですべきことを提言したものなんです」

 そう言って、みんなが目を通すのを待ってから、女性記者が自分の見解を述べる。

「私が興味を持ったのは、流通技術は生産技術と同等の重要性を持っているんだという指摘と、ただ、それについては従来まったく研究の対象とされていなかったという点です」

「なるほど、従来まったく研究されていなかったですか‥‥その意味では、この報告書がわが国における物流研究の嚆矢となったことは間違いないですね」

 美人弟子が、納得したように相槌を打つ。

「あっ、嚆矢ですか? たしか、昔、中国で戦争開始の合図として射られた矢ですね。物事の開始を意味するんですよね?」

 美人弟子の言葉に女性記者が大きな声を出す。編集長が「韓国か中国の歴史物のドラマで知ったんだな?」と聞く。女性記者が大きく頷く。

 韓国の歴史ドラマと聞いて、大先生が身を乗り出す。最近大先生が嵌まっているものの一つだ。「それ、何ていうドラマ?」という大先生の質問をきっかけに韓国歴史ドラマ談義に代わってしまった。

 休憩にしようと弟子たちがお茶を入れに立つ。この後、流通技術視察談義は佳境に入っていく。

 

2回 物流の発展は何をもたらしたか

昭和33年に発行された我が国初の米国物流視察団の報告書には、物流の持つ「場所的効用」が企業活動をどのように支えているのか、現地の事例を元に丹念に説明されている。そこには、ロジスティクスからSCMへと進んでいく、物流管理の高度化の道筋が、既にハッキリと示されている。

 

◆「場所的効用」の本来の意味

 弟子たちの煎れたコーヒーを飲みながら『流通技術』談義が再開した。美人弟子が女性記者に聞く。

「その報告書はどのような構成になっているんですか?」

 女性記者が、頷いて、鞄の中からコピーした資料を引っ張り出して、みんなに配った。報告書の目次(別添資料)をコピーしたものだ。みんなが目を通すのを待って、女性記者が簡単に説明する。

「第1章は、流通技術の研究がいかに重要かという点について問題提起のような形で説明されています。それを受けて、第2章で、アメリカにおいて、流通技術の発展が企業活動を支えている事例が報告されています。これは、おもしろいです」

 女性記者の言葉に、弟子たちが興味を示す。大先生が頷くのを見て、編集長が「先生は、この報告書をお読みになったんですか?」と聞く。

「当たり前だろ。これを探して持って来いと言った手前、目を通しておかないとまずいなと思って、昨日ざっと目を通した。彼女が言うように、興味深い記述が多くある。不勉強の編集長のために、解説しようか?」

「あっ、よろしくお願いします。先生にご講義していただくなんて恐れ多いですが」

「まあ、いいさ。さっき物流には、あっ、報告書ではPhysical Distributionとなっているけど、ここでは便宜的に物流という言葉を使う。えーと何だっけ‥‥そうそう、さっき、物流には場所的効用と時間的効用の二つの効用があるといったよな。このうち、場所的効用は、物流の価値を決定づける重要な役割と言っていい。いまでは、そんなこと当たり前で、誰も気にもしないけど、これこそが物流なんだな。ちなみに、場所的効用が存在しないという状況を考えてごらん」

 大先生に妙なことを言われて、編集長が腕を組んで、天井を仰ぐ。少し間を置いて、頷いて話し出す。

「なるほど、もしかして、場所的効用というのは、単に物理的に物資を移動できるということだけでは、効用を発揮しないということですか‥‥」

「ほー、さすがだ」

 大先生が、わざとらしく感心する。それに気をよくして、編集長が続ける。

「要するに、必要なときに必要なところに移動できなければ効用ではないってことですよね。物資の移動に時間がかかったり、いつ着くかわからない状況では、また届いた物資に毀損などがあって使えないといった場合には、場所的効用は発揮されないということでしょ。うん、たしかにそうだ。いまでは当たり前なことなので、考えもしなかったけど、場所的効用が発揮されないと、企業活動は大きな制約を受けるってわけですね」

「そういうこと。編集長は結構頭働いてるな。まさに、そのとおりで、たとえば、生産効率を上げるために、各製品を一工場で集中生産しているメーカーが結構あるだろ。その場合は、その製品の販売は、必然的に一工場からの全国展開になる。こうなると、その工場から各地に置いてある倉庫にタイミングよくその製品が届けられる物流の体制がないと商売にならない。それができないのなら、消費地ごとに工場を配置しなければならない。つまり、集中生産なんかできないってこと。要するに、集中大量生産を可能にするのは物流があるからであって、それを場所的効用というわけさ」

「なるほど、つまり‥‥」

 編集長が答えを出そうとするのを遮るように、女性記者が割り込んだ。

「場所的効用は、物資の移動が安全、確実、迅速にできて初めてその効用を発揮する」

 美人弟子が続ける。

「そこで、その安全、確実、迅速な物資の移動を可能にするための技術つまり流通技術が探求されたというわけですね」

 

◆流通技術が大量生産を可能にした

 女性記者が大きく頷く。テーブルの中央に置かれていた報告書を引き寄せ、ページを繰る。

「あっ、ここです、ここ。工場も倉庫も効率化のために分散させるというやり方を可能にしたのは、えーと、こう書いてあります。『まさに流通技術の発達によるものである。すなわち、部品または製品の出荷と入荷地は、たとえ数千キロの遠くに分散されても、途中の輸送や発着末端の取扱いが、なんら遅れることなく、常に正確安全で、計画的作業上いささかも支障を起こさないという信頼感と、通信の発達によって遠距離間の連絡が自由になったことがその理由である』ということです」

「なるほど、場所的効用を発揮できる物流があればこそ、そのような生販体制が可能になったってことですね。その当時としては、画期的なことですね」

 体力弟子の感想に女性記者が頷き、「ここを見てください」と言って、報告書の場所を示しながら、弟子たちに報告書を押し出す。そこにはこう書いてある。

「フォード自動車やシルバニア電気器具会社は、工場を分散させ、倉庫を分散配置しており、いずれもIBMやUnivac、テレタイプなどによって一刻一刻の状況を正確に数字として把握し、迅速に情報交換、指令を行い、これによって常に出荷や在庫量の適正化をはかっている」

「へー、すごーい。一刻一刻の状況をつかんで、在庫の適正化をはかるということをその頃からやっていたんですね。いまだにこれができていない企業が結構多いですよ」

 体力弟子の言葉に美人弟子が「たしかにそうですね」と頷く。

 女性陣の熱の入ったやり取りを聞いていた編集長が突然思い出したように言葉を挟む。

「そういえば、集中生産で思い出しましたけど、今次の震災で、製品別の集中生産は供給途絶のリスクが高いことが明らかになり、一工場集中生産から二工場分散生産に切り替えたところもありますね。あっ、といっても、場所的効用の重要さは変わりませんけど」

 女性記者が、突然何を言い出すのかという顔で編集長を見る。大先生が苦笑しながら話を戻す。

「基本的に、『安全、確実、迅速に』となると、人手を掛けない荷役の技術、積み替えをしないで済む輸送容器の開発、毀損を回避する梱包技術、発地から着地までの一貫輸送などがポイントになる。それらの技術を流通技術と言ってるんだけど、その報告書の第3章では、アメリカで実際に行われているそれらの技術が紹介されている」

「なるほど、ここにフォークリフト、パレット、ユニットロード、コンベアや包装の規格化、あっ、施設の近代化とか協同輸送、ピギーバックなども紹介されていますね。いまでは当たり前ですけど、当時は斬新な技術だったんでしょうね?」

 編集長が報告書の目次を見ながら、独り言のように言う。編集長の言葉に頷きながら、女性記者が続ける。

「このような流通技術の発展が倉庫業を変えたという指摘もあります。つまり、単に保管を目的とする倉庫、Storage Warehouseと呼んでますが、この形態から、流通の流れを調整する倉庫、Distribution Warehouseへの転換が進んでいると指摘されてます」

「へー、そうか、保管型から流通型へというのは、そんな時代から言われていたんだ。もっとも、物流の場所的効用から考えると必然の結果ということですね」

 編集長が感心したような顔で大先生に確認する。大先生が頷いて、「そう、ロジスティクスもSCMも場所的効用の必然の結果。それを支えるのが流通技術」と言う。みんなが頷くのを見て、大先生が続ける。

「この報告書は、その意味では、単なる流通の技術を紹介しているのではなく、流通技術の進歩が、企業活動や国民生活に多大な貢献をするという点が強調されている点に特徴がある。流通技術の進歩なしに、大量生産・大量販売をベースにした企業活動の高度化もなかったということがよくわかる。企業がこうしたいという方向性を流通技術の進歩が見事に実現させてきたといっても過言ではないということだ」

 大先生の結論にみんなが頷く。

 

◆軍事が流通技術を発展させた

 編集長が、報告書を手に取り、ぱらぱらとめくって、呟く。

「なるほど、第3章以降は技術の解説ですね。やっぱり写真が多いな」

 その編集長の言葉に女性記者が異論を呈する。

「いま先生がおっしゃったように、単なる技術の解説だけではありませんよ。背景とか発展の経緯なども分析されていて、なるほどと思うことが結構あります」

 米国における流通技術の発展において忘れてならないのは軍事との関係である。流通技術の核となる「包装」に関する記述にそのことが象徴的に示されている。ポイントを引用すれば、次のとおりである。

「第一次、第二次の大戦における軍需物資の輸送取扱いが包装の近代化に拍車をかけた。両大戦において連合国の兵站基地となったアメリカは大量軍需品の渡洋輸送の安全と、戦時における木材、鉄鋼など包装材料資源の節約の両方から極力包装の合理化をはかる必要に迫られたのである。

 軍需品には包装上最も問題の多い易損品、腐敗性貨物、爆発危険物などの種類が多く、特に金属製品の錆害による損失は年々数十億ドルに達し、その防錆、防湿包装が重大問題であった。

 それ以来、政府はみずから包装の試験研究に従事するばかりでなく、進んで民間の包装近代化を指導する立場を取って現在に及んでいる。」

 

 また、包装の「研究」に関する興味深い記述があるので、これも紹介しておきたい。

「アメリカ近代包装の研究は、すでに一種の科学にまで達したといっても差支えがない。その研究は、まず輸送、貯蔵および末端取扱いに際して生ずる避け難い衝撃圧力が包装および直接内容貨物に及ぼす破壊力の計算から出発し、これに対応するに適当な強度を最も経済的に保つことができる包装様式の構造と設計を材料の選択や施行方法の面から研究し、最後にその成果を室内試験と屋外試験によって確認した上で、一定の標準規格に統一するのが包装研究の道筋となっている。」

 

 いかがであろうか、包装のみならず、あらゆる技術研究のあるべき姿を示しているといってよい。

「ところで、この報告書の最後に『結論と勧奨』とありますけど、この報告書が日本でどう受け入れられたかという点は興味深いですよね。そのあたりはどうだったんでしょうか?」

 編集長が大先生に聞く。

「勧奨の内容は、さっき彼女が見せてくれた提言なんだけど、たしかに興味深いのは、これが日本にどのように受け入れられたか、その後物流がどう変わってきたかということだな」

 そう言って、大先生がみんなを見る。みんなが頷くのを見て、大先生が続ける。

「この報告書が公刊されたのが昭和33年で、Physical Distributionという言葉に物的流通という訳語が与えられるのが39年だから、6年間のギャップがある。この間、物流の世界で、どんな動きがあったのか、興味深い。でも、この間、おれは中学、高校だったからさすがに何も知らん。この6年間の動きについては、弟子たちに調べてもらって、改めて『流通技術』後日談を話し合うことにしようか」

 弟子たちが、興味津々といった表情で頷く。

「わかりました。うちの方でも調べてみることにします」

 編集長が女性記者を見て答える。女性記者が嬉しそうに大きく頷いた。

 

(資料)  『流通技術』目 次

1章 生産性向上と流通技術

1節 流通技術の概念

2節 流通技術における生産性向上の理念

2章 アメリカにおける流通技術

 第1節 流通技術発展の基盤と社会的背景

 第2節 流通技術の研究

3節 流通技術発展の影響

  1 国民経済的影響

  2 個別企業的影響

3章 アメリカにおける流通技術の実際

 第1節 荷役の機械化と包装

 第2節 荷役の機械化の実例

  1 フォークリフト、パレット、ユニットロード

  2 各種コンベヤー

  3 トウコンベヤーその他の方法による台車牽引の輸送作業

  4 各種機械の組合せ

 第3節 包装の規格化

  1 包装の研究と近代化

  2 アメリカ鉄道における規格の制定と法制化

  3 包装事業の発展

 第4節 施設近代化の現状

  1 道路

  2 港湾

  3 倉庫

  4 鉄道貨物駅

  5 トラック中継設備

 第5節 鉄道とトラックとの協同輸送

  1 協同輸送

  2 ピギーバック

 第6節 特殊貨物

  1 生鮮食料

  2 大量貨物

  3 特殊貨車

4章 結論と勧奨

 

 

3回 荷造包装費が最大のコスト項目だった

昭和30年代の日本においては、物流費のおよそ半分を荷造包装費が占めていた。荷役や輸送中に荷物の受けるダメージがそれだけ大きかったからだ。荷造包装費問題は鉄道輸送がトラック輸送に置き換えられていく一因ともなった。流通技術の革新が求められていた。

 

◆『流通技術』後日談が始まった

「この流通技術視察団の報告書が出された年に東京タワーが完成し、開業したんですね。今年、スカイツリーが開業しましたけど、数えてみると約半世紀の時を経ていることになります」

 美人弟子が感慨深げにつぶやく。大先生事務所で、弟子たちが集めた当時の資料をもとに、師弟による検討会が始まった。体力弟子が大先生に質問する。

「東京タワーの完成というと、あの『三丁目の夕日』の世界ですよね。師匠は、あの映画に登場する子供たちとほぼ同じような世代ですか?」

 大先生が頷いて、「そうそう、多分同じ学年だと思う。あの映画を見ると、懐かしさがこみあげてくる」とわざとらしく天井を仰ぐ。美人弟子が続ける。

「高度経済成長期の初めの頃で、神武景気が終わって、岩戸景気が始まった頃ですね。資料によると、三種の神器というのが流行ったようです」

「三種の神器というと、冷蔵庫、洗濯機、テレビですか?」

「正確に言うと、白黒テレビです。この後で登場する新三種の神器、3Cとか言われてますが、そこにクーラーと車とともにカラーテレビが入っていますから」

 弟子たちのやり取りを聞いていて、大先生が手もとの年表を見ながら、思い出したように呟く。

「そうそう、現天皇(注:執筆当時)のご成婚パレードが行われたのが、えーと、これこれ、1959年、昭和34年だった。これがテレビで中継されるというので、一気にテレビが売れた、という話を後から聞いたことがある」

「それでは、師匠は、そのパレードを実際にテレビでご覧になったんですね?」

 美人弟子が大先生に聞く。大先生が大きく頷く。

「もちろん見た‥‥たしかに、この時代は日本の歴史上初めてといっていいくらいの景気のよさだったんだろうな。初代天皇即位以来のめでたきことという意味で神武景気と呼んだんだろうけど、この後、20年くらい続く高度成長期というのは日本が本当に元気だった時代だな」

「師匠は、高度成長期にかかっているんですよね?」

 体力弟子が妙な聞き方をする。

「かかっているって、なんだそりゃ‥‥まあ、たしかに、社会人になったのが、高度成長期に終止符を打った第一次オイルショックの2年前だから、おれは2年くらい高度成長期を経験している。誰かが高度成長期を『明日は今日より必ずよくなるという確信があった時代』と表現していたけど、たしかにそういう時代だったと思う」

 体力弟子が大きく頷き、「文字通り経済は右肩上りで、物流もどんどん大きくなっていった時代ですね。そういう中で流通技術に関心が集まったんですね」と納得顔で言う。

 

◆荷造包装費が鉄道輸送の弱点だった

「これを見てください。当時の輸送機関分担率です。トンキロベースで見ています」

 美人弟子がそう言って、机に一枚の図を広げる。1960年(昭和35年)時点で、内航海運が46%、鉄道が39%、トラックが15%で、この頃は陸上輸送の主役が鉄道だったことがわかる。ただ、その後、鉄道は長期低落傾向を描き、10年後の1970年にはトラックと鉄道の地位が逆転している。

「当時は、陸上輸送の主役は鉄道輸送だったんですけど、流通技術がらみでいうと、当時の鉄道輸送は、荷造包装費が高額になってしまっていたことが弱点だったようです。ここに当時の興味深い実態が示されています」

 そう言って、美人弟子が一冊の古めかしい報告書を会議テーブルに置く。『貨物設備近代化委員会報告』というタイトルが付いている。美人弟子が続ける。

「これは、昭和33年に出された国鉄の委員会報告ですけど、この中に興味深いデータがあります。まず、これを見てください」

 美人弟子が開いたページには「おもな貨物の流通費中に占める荷造包装費の割合」とあり、木炭、みかん、板ガラス、ビール、さけ缶詰など10品目が並んでいる。

「流通費というのは、荷造包装費と鉄道運賃、それと小運送費を指しています。小運送費というのは集配費です。この3つの費用のうちウェイトとして一番大きいのは何だと思います?」

「いまなら、間違いなく運賃ですよね」

 美人弟子の問い掛けに体力弟子が素直に答える。

「ですよね。でも、この頃は一番大きな費用項目は荷造包装費だったんです。たとえば、この板ガラスの欄を見てください。流通費に占める荷造包装費の割合が69%にもなっています。ちなみに運賃は23%、小運送費が8%です」

 体力弟子が「へー」と言って、興味深そうに表を覗き込み、独りごとのように言う。

「これらの品目のうち、荷造包装費の割合が一番小さいのはセメントですね。それでも40%‥‥。大体、多くが50%台から60%台ってとこですね。ちなみにビールの荷造包装費の割合は56%。へー、多くの品目で、物流費の半分以上を荷造包装費が占めているって実態ですね」

「やわな梱包じゃ輸送中に壊れてしまうので、荷造包装を頑丈にした結果ってことだな?」

 大先生の言葉に美人弟子が頷く。

「そうです、輸送中の衝撃や振動、小口混載でぎゅうぎゅう詰め込まれるときの圧縮などが壊れる原因だったようです」

「肩荷役による落下の衝撃も大きかっただろうな」

「そうそう、この報告書におもしろい記述があります。肩荷役、これは120センチの高さとみているようですが、これを腰荷役、つまり60センチの高さの荷役に改めるならば、荷造包装費は25%引下げ得るものと推定されると書いてあります。落下の高さが低くなる分、荷造包装はより簡易で済むということのようです」

「へー、おもしろーい。肩荷役というのは、肩で担ぐということだけでなく、降ろすときは肩から投げるってことなんですね。その記述によると‥‥」

「すべてがそうではないでしょうけど、そういうことが多かったんでしょうね」

 ここで大先生が話題を戻すように質問する。

「それで、荷造包装費が鉄道輸送における弱点というのは、トラックと比べてという意味か? トラックの場合の荷造包装費はもっと安く済んでいたってこと?」

 大先生の質問に頷きながら、美人弟子が、報告書の別のページを開く。そこには、「国鉄とトラックの運賃荷造包装費例示表(東京・名古屋間)」というタイトルが付いた表があった。

「これは、貨物を鉄道で送った場合とトラックで送った場合とで、運賃と荷造包装費はそれぞれいくら掛かるのかを比較したものです。見ればおわかりのように、運賃は明らかに鉄道の方が安くなっていますが、荷造包装費が圧倒的に鉄道の方が高くなっています。それで、トータルとしてトラックの方が安いという結果が出てるわけです」

「へー、タンスの場合だと、運賃は、鉄道が580円で、トラックが880円ですか。運賃は300円も鉄道の方が安いのに、荷造包装費は、鉄道が1110円、トラックが380円で、鉄道の方が730円も高いですね。300円運賃が安くても、トータルでは430円も高くなってしまう。間違いなく弱点ですね」

 体力弟子の感想に大先生が頷く。

「たしかに、鉄道にとって、荷造包装費の問題は大きいな。台頭著しいトラックと競争するためにも、この弱点の克服が国鉄の大きな課題だったってことだ」

 大先生の言葉に二人が頷く。

 

◆荷造包装の標準化

 体力弟子が大先生に聞く。

「この頃の業界紙を見ると、荷造包装の標準化という見出しや包装の標準化委員会を作ったという記事がよく出てきてますけど、この標準化は、荷造包装費問題の解決とどう関係してくるんでしょうか?」

 大先生が頷いて答える。

「それらの記事から推測すると、おそらく、こういう種類の貨物にはこのような荷造包装が望ましいという基準のようなものを示したかったんだろうな。そのねらいは、第一に荷主にそれを示すことで、荷主が適切な荷造包装ができるようになること。つまり、基準がわからないゆえの過剰包装を排することで、荷造包装費を削減できるという点にあったと思う」

 美人弟子が頷き、続ける。

「当時の荷主さんは、荷造包装には結構神経を使っていたと思います。届いても破損していたら責任を問われるでしょうから、自己防衛という意味でも、かなりな過剰包装になっていたんではないでしょうか」

 大先生が頷く。

「そうだな。それに、この包装で輸送を引き受けるかどうか、破損などが生じた場合、その損害は荷主が負担するという特約条件を付けるかどうかという判断は、結局、取扱い駅によってずいぶん差があったように思うな。その不公平さを解消するというねらいも標準化にはあったはずだ」

「そうですね。駅によって、判断が一律でなかったことは容易に想像されますね」

「それで、結局、その標準化はどうなったんだ?」

 大先生が聞く。美人弟子が答える。

「国鉄では、昭和346月から標準荷造包装貨物取扱規定というものを制定して、荷造包装の標準化に着手したそうです。はじめは限られた品目について制定したようですが、荷造包装費の削減という点で大きな効果をあげたらしいです。これについて、もっと詳しく調べますか?」

「いや、まあ、当時の雰囲気がわかればいいので、その必要はない。ただ、損傷から守るための荷造包装はどうあるべきかという点も大事だけど、落下や衝撃などを起こさせない対策も重要だよな。それについては、どんな動きがあった?」

 大先生の質問に体力弟子が、新聞記事のコピーを見ながら答える。

「これは、陸運新聞という業界紙に乗った座談会の記事なんですが、あっ、いつかというと昭和337月です。アメリカの包装事情をテーマにした座談会ですが、視察に行かれた方から『アメリカのトラックは多くがバン型車で、コンテナに車輪が付いたような感じで、外装はほとんどなくなっている』という紹介があり、それを受けて、荷役研究所の所長で、かの有名な平原直さんが『私どもは日本にいて、荷役が先か包装が先か、といったことを考え、ようやく荷役が先だと思うようになってきているわけです』というようなことをおっしゃっておられますから、コンテナやパレットの利用、さらに、それらをベースにした荷役の機械化が進展し始めたように思います」

 体力弟子の報告を受けて、美人弟子が続ける。

「包装容器としてダンボールや紙袋などが出てきたことで規格化が図られ、まとめやすい姿になってきたのが大きいと思います。その結果、パレットの活用やフォークリフトによる作業などが進み始めて、少なくとも荷役による損傷は大幅に減少していったようです。もちろん、手かぎの使用や肩荷役も禁止されていったようです」

 大先生が頷き、「その意味では、『流通技術報告書』は、そのような動きの火付け役になったってことだな」と取ってつけたような答えを出す。

 師弟による検討会が一段落した頃、大先生事務所の扉が開き、編集長と女性記者が顔を出した。

 

4回「流通革命」前夜の物流市場

日本が本格的な高度経済成長期に突入した昭和三〇年代後半から四〇年代初頭にかけて、国内貨物輸送量は爆発的に増加した。それを支えたのがトラック運送だった。ただし、当時はまだ荷主による自家物流が中心で、トラック運送事業者のサービスレベルには課題が多かった。営業倉庫事業者も荷主のニーズに十分対応できていなかった。

 

◆当時、物流は自前主義だった

「なるほど、当時の状況を知るには、新聞の座談会記事というのはいいですね。荷主も結構登場してるんですか?」

 当時の状況は、座談会記事を読むとつかみやすいという美人弟子の言葉に編集長が納得顔で聞く。

「はい、ずいぶん登場されています」

「その人たちの肩書は何ですか? まだ物流なんとかという部門はありませんよね?」

 美人弟子が自分のメモを見ながら答える。

「もちろん物流も物的流通もまだ言葉として生まれていませんから、部門名称には出てきません。部署名としては、わかりやすい名称が多いです。たとえば商品課、製品管理課、発送課、倉庫課、運輸課、輸送課、業務課といったものです。それらが所属している部門としては、営業部、製品部、業務部などといったところが出てきます。座談会は、課長さんの登場が多いので、課になっていますが、実際は、たとえば発送係というように、係という部署も多かったと思います」

「なるほど、仕事内容そのままというか、文字通りの専門部署といった感じですね。たしかに、おっしゃるように、課のレベルならいい方かもしれない。昔は係レベルが多かった感じがしますね。ところで、座談会によると、それらの荷主さんは、当時どんなことに関心を持っていたんですか?」

 編集長の質問に、体力弟子が表を取り出してみんなに配り、説明を始める(次頁表参照)。

「その前に、この表を見てください。昭和35年(1960年)から39年までの5年間の輸送量の推移と輸送機関の分担状況を示したものです。トンベースで見ています。見ればおわかりのように、輸送量は、35年が15億トンだったんですが、39年には26億トンと5年間で1.7倍になっています」

 「なるほど、輸送量ががんがん伸びてますね。さすが、高度成長期だ」

 編集長が感心したような声を出す。じっと表を見ていた女性記者が何かに気が付いたように呟く。

「あら、輸送量の伸びのほとんどは自動車が吸収しているんですね」

 弟子たちが頷く。体力弟子が、相槌を打つ。

「そうなんです。まあ、物流の主役はトラックですから当然といえば当然なんですが、輸送量の伸びとともにトラック台数も増えています」

 美人弟子が補足する。

「自動車というのは、営業用トラックと自家用トラックの合計なんですが、その表で明らかなように、自家用の伸びが大きいです。トラック台数で見ると、営業用が1.5倍の伸びに対して、自家用トラックの台数は2倍になっています。輸送量も同じような状況になっています」

「この後、徐々に営業用のシェアが広がっていくと思うんですが、当時は、物流は自前でやるというのが当たり前だったんでしょうね?」

 編集長が大先生に確認するように聞く。大先生が頷く。

「そう思う。当時は何でも自前主義だからね。物流は、自分の倉庫で、自分のトラックで、そして、自社の社員でやるというのが当たり前だった。もちろん、長距離輸送のように自分ではやりきれないところは鉄道や船舶に依存していた。営業トラックや営業倉庫も自社でやりきれないところをカバーしてもらうというのが当時の役割分担だったと思う。ただ、この頃、営業用トラックも勢力を拡大しつつある時期だったことは間違いない」

 

◆専業者には任せきれなかった

 大先生の話を聞き、編集長が何か思い出したように大先生に確認する。

「そういえば、以前、先生から伺った昔話の中で、先生がこの世界に入られた頃は、大手メーカーの場合、100カ所も200カ所も倉庫を持っていて、工場から倉庫に自家用トラックで在庫を届けていたってことでしたよね?」

「そうそう、おれがこの世界に入ったのは、昭和40年代半ばだったけど、いま話題にしている30年代後半頃も同じような状況だったと思う。その頃は、顧客に対する在庫確保は、担当営業マンの仕事だったから、営業マンの数だけ倉庫があると言われていた」

「当時は、というか、いまもそうですけど、いま以上に顧客の都合に合わせて物流をやらされていたんでしょうね?」

 編集長の質問に美人弟子が頷く。

「座談会などでの荷主さんのコメントに『営業用は小回りが効かないから使えない』という内容のものが少なくありません。ですから、お客さんから結構面倒な要請があったでしょうし、それをトラックにしろ倉庫にしろ専業者が担うのは困難だったという状況にあったことがうかがわれます」

 体力弟子が続ける。

「営業用トラックが増えてきたとはいえ、お客さんのところに行かせるのが心配だという荷主の声も少なくないですよ」

「そういえば、サンダル履きや上半身はだかのドライバーは困るなどという苦情が新聞に出ていたな」

 大先生の言葉に体力弟子が大きく頷き、新聞記事のコピーを見せる。

「ある荷主さんですが、トラックドライバーに『一個のサラリーマンだという自覚を持ってほしい』というような発言をしています」

「組織人としての自覚を持てということですかね。つまり、個人じゃなくて会社を背負ってるんだから、服装や態度をきちっとしろってことでしょうね」

 編集長の解説に体力弟子が頷き、別の記事を紹介する。

「これは、別の荷主さんの発言ですけど、発荷主のところでは、それなりに対応しているが、うちを出てから、継続してきちんと対応してくれるか、着荷主からクレームが来ないか、ずっと心配だと言ってます」

「なるほど、そういうことが改善されながら、営業用トラックはその後シェアを伸ばしていくってことですね。そうか、ところで、営業倉庫はどんな状況だったんですか?」

 編集長が一つの結論を出して、新たな質問をする。体力弟子が答える。

「ある大手の倉庫業者の方が『とにかく倉庫に入ってきたものを方面別に仕分けて包装する、そして発送までやっているのだから、倉庫も随分進歩したもんだ』と言ってます。この言葉は、なかなか変化しきれない倉庫業者さんの実態を逆説的に表しているようにも思えます」

 体力弟子の話を受けて、大先生が説明する。

「その頃は、小売店は総じて小さいので、商品を十分に持てるスペースはない。それなのに高度成長とともに品数が増えてきた。結果として、店に置ける商品は限られてくるので、それを問屋がカバーせざるをえない。つまり、小売店が電話すれば、問屋がすぐに持って行ってやる。ただ、その頃は、問屋も決して大きくはないので、ここでも在庫を十分に持ちきれない。そこで、今度はそれを問屋のそばにメーカーが倉庫を持ってカバーしてやることになる」

 大先生が一息つくのを待っていたように、編集長が聞く。

「先ほどのメーカーの倉庫が多かったのは、それも一因ですね」

 大先生が頷いて続ける。

「このようなサプライチェーンの場合、それらの倉庫での作業は結構面倒なものになる。場当たり的に注文してくるわけだから、出荷作業は必然的に小回りが要求される」

 みんなが「さもありなん」という顔で頷く。

「そこで、当時の営業倉庫だけど、この小回りな作業要求には応えられなかったというところが少なくなかったのは事実だ。そうなると、顧客に届ける作業は自家倉庫でやり、営業倉庫には荷動きの少ない製品を預ける、つまり、当面の出荷には関係ない製品を置いておくという役割を担わせていたといえる」

 大先生の言葉を受けて編集長が、独りごとのように呟く。

「小回りな作業要求に応えられなかったということもあるでしょうけど、おれたち倉庫業者がなんでそんな面倒なことをせなあかんのやという倉庫屋さんも結構いたんじゃないでしょうか‥‥」

「間違いなくいた。立地のいいところに倉庫を持っていれば、自然に荷物は入ってくるので、荷主ニーズなんて面倒なことは御免だというところも少なくなかったろうな。まあ、気持ちはわかる。でも、大手の倉庫業者では、荷主のニーズに積極的に対応しようと動き始めていたこともたしかだ」

「二極分化というのは黎明期特有の現象ですね」

 

◆『流通革命』が登場した

 編集長の結論に大先生が頷く。それまで黙っていた女性記者が、思い出したように、新たな問題提起をする。

「私が調べたところでは、その頃、『流通革命』という言葉がよく登場していたようですが、これと『流通技術』とはどう関係するのでしょうか?」

 大先生が「密接に関係していたろうな」と言って、説明を始める。

「かつて経験したことがないような高度成長が進んだ結果、当時の新聞の言葉を借りれば、『大量消費集団』なるものが誕生した。まあ、消費者の購買力が高まったってことだな。一方、朝鮮戦争の特需に応えるなかで、工場における生産能力が急速に高まった。いわゆる大量生産が実現した。そうなると、次に求められるのは何?」

 大先生の問い掛けに、女性記者が答える。

「えーと、大量販売体制ですね。それに大量流通体制も、ですね」

「そう、スーパーに代表される大規模な小売店が登場し始めた。つまり、大量生産と大量販売が現実のものになるにしたがって、必然的に、既存の流通体制は大きな亀裂を生むことになる」

 大先生の言葉を受け、美人弟子が続ける。

「小さな問屋さんでは、対応しきれなくなって、問屋さんの存在価値が問われ、これまでの流通経路そのものが変革を迫られたわけですね」

「ある座談会で、これは新聞記者の方だと思いますが、こんなことを言っています。えー、『小売への出荷のためのセンターをメーカーが作って、従来問屋がやっていた仕分けを含め、すべてをメーカーが管理している』というようなことです。また、別の方が日通の名前を出して、『醤油メーカーの倉庫から小売配送までを日通がやっている。つまり問屋機能として従来考えられてきた保管、輸送を、管理を含めて輸送会社が代行しているんだ』というようなことも言っています。問屋機能がメーカーや輸送業者に移管され始めているということなんでしょうか?」

 女性記者が頷き、自分のメモを見ながら続ける。

「そのようですね。メーカーは、それまで生産部門における技術革新を推進してきたわけですが、生産から流通にも目を向けざるを得なくなったようです。大量生産したものを大量流通させるにはどうしたらよいかということのようです」

「メーカーは、いままでは作ることに夢中になって、売ることは忘れがちであったという台詞もありましたよ」

 体力弟子が興味深い指摘をする。それを受けて、編集長がまた結論を出した。

「かつて経験したことがない大量生産・大量流通時代になって、これまでの流通の制度はすべて否定されることになった。その結果、必然的に流通革命が起こったということだな」

「さっきから、そう言ってるじゃないですか」

 女性記者が、そう言って、編集長をにらむ。大先生が、笑いながら、もう一つの結論を出す。

「大量流通は、流通経路の問題だけでなく、大量物流をどうするかという課題も提起している。流通技術はそこで登場するけど、興味深いのは、いよいよ行政もその解決に乗り出さざるを得なくなったということだ。それが昭和40年に具体化する」

 物的流通元年ですね」

 美人弟子の言葉にみんなが「待ってました」という顔で大きく頷いた。

 

5回「物的流通」という言葉の始まり 

物流が大量生産・大量消費時代の制約だった。脆弱なインフラと劣悪な輸送品質が、物流のもたらす「時間的効用」と「場所的効用」を阻害し、経済成長の足枷となっていた。包装、保管、荷役、輸配送、通信による諸活動を統合した「フィジカル・ディストリビューション」という新しいコンセプトがそこに紹介され「物的流通」という訳語が与えられた。

 

◆当時の道路舗装率は3%以下

 弟子たちの煎れたコーヒーを飲みながら、編集長が、しきりに自分の取材ノートを繰っている。ようやく目的のページを見つけたらしく、手を止めて、自分のメモを見つめる。おもむろに顔を上げ、「休憩中済みませんが、雑談だと思って聞いてください」と大先生に話し掛ける。大先生がコーヒーを片手に「いいよ」と頷く。

「実は、私も、できる範囲で調べてみたんです。そしたら、まあ予想通りではありますが、当時の物流は、何と言うか、想像以上に厳しい状況の中で行われていたんですね。たしかに、流通技術革新が必要だと実感しました」

 大先生が頷き、相槌を打つ。

「そう、昭和30年代後半、西暦でいうと1960年代前半だけど、この頃は、いくら作っても追いつかないくらい売れたという時代だと思う。大量生産したものを大量販売する場所まで届けるのは大変だったはずだ。物流のパイプが脆弱だったから」

 そのとおりという顔で編集長が続ける。

「そうだと思います。鉄道もトラックも、消費財の輸送という点では、いまでは想定外といってよいくらい脆弱でしたよね。鉄道貨車なんか、荷物を貨車にぎゅうぎゅう詰めこんだでしょうから、やわな梱包だとひとたまりもなかったと思います。それに連結や発車、停車時の衝撃があったでしょうから、たしかに、この前お話があったように、梱包が最大の関心事だったはずです」

「貨車は積めば積むほど混載利益が出るから、それはぎゅうぎゅうに押し込んだろうな」

 大先生と編集長が頷き合う。そこに、突然女性記者が割り込んだ。

「私、調べてびっくりしたんですけど、その頃の道路事情ってひどかったですね」

 女性記者の言葉に編集長が中途半端に頷く。女性記者が続ける。

「舗装率を見るとびっくりしますよ。その頃の舗装率ってどれくらいだと思います?」

 女性記者が編集長に聞く。編集長が「うーん」と言って、「まあ、そう聞いてくるからには、かなり低いってことだな。道路によっても違うだろうけど、すべての道路平均で10%もいってないってとこかな」と適当に応える。それを聞いて、女性記者が嬉しそうに「ぶー、外れです」と言う。

 編集長が「もっと低いってことか」とちょっと悔しそうな顔をする。女性記者が解説を始める。

「新聞に出ていた統計なんですが、あっ、当時の建設省の『道路統計年報』って統計です。これによると、1960年の道路舗装率が出てるんですが、なんと国道でも29%です。主要な地方道で13%です。それが、一般の都道府県道になると6%しか舗装されていないんです。県道ですよ。驚きですよね」

「なるほど。それでは、市町村道になると、ほとんど舗装されていないってことか?」

 編集長が、興味深そうに聞く。女性記者が頷く。

「はい、市町村道など身近な道路の舗装率は1%強です。これらを合わせると、先ほど質問した道路合計では、なんと、2.8%でした」

 女性記者の説明に、弟子たちが興味深そうに頷く。体力弟子が「トラックも大変でしたね」と誰にともなく言う。編集長が頷く。

「本当ですね。砂利道やでこぼこ道を走るのは辛い。ドライバーもそうだけど、荷物も耐え難いと思いますよ。やっぱり梱包は重要だ」

 

◆「物的流通」が登場した

 編集長が顔をしかめるのを見て、女性記者が思いついたように言う。

「それだから、行政も物流のインフラ整備に力を入れたんですね」

「そうそう、昭和39年のオリンピックに向けて新幹線や高速道路の整備に力を入れてきたけど、その延長線上で、道路整備、港湾整備などに取り組んだわけだ」

 編集長の言葉に美人弟子が手許のメモを見て、説明する。

「そうですね。オリンピックまでに首都高の一部、名神高速、阪神高速の一部が開通しましたが、大動脈である東名が全線開通して、東京から大阪までが高速道路で結ばれるのは、昭和44年、1969年のことのようです」

 体力弟子が続ける。

「座談会でのトラック業者さんの発言ですけど、高速道路で結ばれるまでは、路線トラックで、東京−大阪間を14時間から16時間かけて運行していたようです。ドライバーは2名で、道路がそんなだったせいでしょうか、途中で営業所に立ち寄って、車両の点検を受けたようです」

「なるほど、たしかにそれでは大量生産・大量販売に追いつかないですね。こりゃ、政府も本腰を入れるはずだ」

 編集長が納得顔で呟くように言い、大先生に確認する。

「ところで、政府がインフラ作りに本腰を入れるってときに、Physical Distributionの訳語として『物的流通』という用語が登場したんですよね?」

 大先生が頷くのを見て、さらに質問する。

「その言葉がどう生まれたのか、あるいは誰が作ったのかということはわかっているんですかね?」

「いつ登場したかは大体わかっているけど、誰が作ったかというのはよくわからないようだ。まあ、自然発生的にというところじゃないかな」

 大先生の言葉に編集長も「でしょうね」と同意する。二人のやり取りに女性記者が割り込む。

「公的にって言い方はおかしいかもしれませんが、物的流通が活字になったのは、昭和39719日の日経新聞ということでよろしいんでしょうか?」

 女性記者の質問に美人弟子が答える。

「その記事は、当時の通産省が、物流関係のコストを削減するための調査をしたり、産業構造審議会の流通部会に物的流通委員会を設けて、ユニットロードシステムなどの研究をするといった内容なんですが、見出しに大きく『物的流通コスト削減』と出ています。おそらく新聞紙上でこの用語が出たのは、これが初めてだと思います」

「新聞紙上でということは、その前に、その用語はどこかで使われていたということ? 通産省が作り出した言葉ではなく‥‥」

 美人弟子の言葉に編集長が興味深そうに聞く。美人弟子が頷いて、一つの論文(中田信哉稿「物的流通なる言葉の誕生時の事情」神奈川大学『商経論叢』第20巻第2号19851月)を見せながら説明する。

「そのあたりの事情については、この論文に詳しいです。それによりますと、日経新聞に出る前の年くらいから、日通総合研究所の雑誌『輸送展望』の論文ですとか、総研の所長の講演などで、すでに物的流通という用語が使われていたようです」

 大先生が補足する。

「その輸送展望に載った論文が物的流通という用語を最初に活字にしたものかどうかは定かではないけど、昭和38年頃には、一部の人たちの間で、物的流通という言葉が使われていて、それを通産省が追認したってことなのかもしれない」

「なるほど。そして昭和40年にその言葉が一気に広がっていくということですね。公的な文書に結構登場してますよね?」

 女性記者が頷いて、自分のノートを見て、読み上げる感じで紹介する。

「昭和41122日の経済審議会答申『中期経済計画』第7章で『物的流通』の近代化が述べられていて、その年に出された『運輸白書』では『近代化の過程にある物的流通』という副題が付けられています。物的流通という言葉が公認されたという感じですね」

 編集長が頷きながら、質問する。

「言葉の定義としては、やはり財貨の物理的移転活動といったようなものになるのかな?」

 女性記者が首を傾げるのを見て、体力弟子が「えーとですね」と言って、コピーを何枚か取り出す。

「いくつかの定義を拾ったものです。おっしゃるように、財貨の物理的移転活動に類した定義が並んでいますけど、産業構造審議会が出した『物的流通の基本政策について』という答申の中の定義がなかなかいい定義だと私は思いました」

 そう言って、体力弟子がコピーを机の上に置いて、その定義を紹介する。

「物的流通というのは、有形・無形の物財の供給者から需要者へ至る実物的(Physical)な流れのことであって、具体的には、包装、荷役、輸送、保管および通信の諸活動をさしている。このような物的流通活動は、商取引と並んで物財の時間的、空間的な価値の創造に貢献している」

 その定義をじっと見ていた編集長が「なるほど、商流と並べて、価値にまで言及しているってことですね」と確認するように呟き、「これはいつの定義ですか?」と聞く。体力弟子が「昭和41年です」と答える。

「空間的な価値の創造というのは、場所的効用のことだけど、当時の輸送事情からすると、その価値の創造に苦労していたことは想像に難くないな」

 大先生の言葉に編集長が大きく頷き、「そうですね。品質が最大の問題だったでしょうね。そうなると、コストにはあまり関心がなかったんでしょうか?」と聞く。大先生が首を振る。

「企業だよ。どんなときでも、コストは最大の関心事さ」

 

◆十年一日の如く運賃を叩く

 大先生の言葉を受けて、美人弟子が続ける。

「製造原価の低減が進む中で、物流のコスト削減が企業の関心事になってきたようです。ただ、当時の新聞の座談会などによると、コスト削減の方法の第一は、トラック運賃のダンピングだったようです」

 体力弟子が「そうそう」と言って、新聞のコピーを手に説明する。

「これは昭和38年の新春記者座談会という記者さんたちの話なんですが、そこで、こういうことを言ってます。『コスト削減というと、荷主は十年一日の如く運賃を叩く。また、叩かれる側も運賃ダンピングを唯一の武器にしている。もちろん、業者相互の競争、業者と自家輸送との競争は、むしろ激しく行われるべきだし、その過程ではじめて進歩が生まれるんだけど、どこに流通の無駄があるか、これを極めること、そのため荷主と業者が協力する仕事が今年の課題。オーバーパッキングがないかどうか、無駄な保管、荷役、輸送が行われていないかどうか』‥‥ここでおもしろいのは、最後のところですね」

「荷主と業者の協力ってところですか?」

 編集長の確認に体力弟子が頷く。

「はい、オーバーパッキングがないかどうか、無駄な保管、荷役、輸送が行われていないかどうかという視点はまさにロジスティクスに通じますよね。効率的に物流をやるではなくて、市場が必要としない無駄な物流はやらないという風に読めました」

「たしかに、そう言われればそうですね。でも、この当時、そんな鋭い分析ができる業者がいたかどうか、疑問ではありますね。記者の感性はよいとして‥‥」

 編集長の疑問に美人弟子が答える。

「もちろん、運賃ダンピングを競争の唯一の武器にしているようでは荷主さんに提案などできないと思います。ただ、別のところで、こういうことを言う業者さんもいるんです。『輸送業者が脱皮するためには、優れた頭脳を社内に持つことが、緊急かつ不可欠な条件になってくる』。脱皮というのは、下請け関係からの脱皮ですが、そのためには、荷主さんに負けない、あるいは上を行く頭脳を持てというのは、正鵠を射ていますよね」

「あっ、正鵠を射るなんていい言葉ですね。得るとも使いますが、私は射るの方が好きです」

 女性記者が妙な反応をする。編集長が呆れた顔で「そういう話ではないだろう。おまえの反応は正鵠を射ていないってことだ」とからかう。体力弟子が取り繕うように別の話題を出す。

「荷主さんからは、『輸送会社が荷役の合理化を図る輸送革命でもしてくれれば』などという意見も出されています。これは、梱包費を削減したいという思いからの言葉のようですが、その意味では、物流業者さんへの期待は大きかったようです」

「でも、正直なところ、その期待には応えられなかったというのが実態なんでしょうね」

 編集長が憎まれ口をたたく。もう窓の外は暗くなってきた。続きは場所を替えてということになりそうだ。

 

6回 物流の「場所的効用」を考える

昭和30年代に米国視察団が日本に持ち帰った「Physical Distribution」という言葉に、「物的流通」という訳語が与えられ、昭和四〇年代に世間に広まった。その結果、包装、荷役、輸送、保管など、それまで別々に行われていた諸活動の統合管理が新たなテーマになった。「物的流通」という言葉がマネジメントの新しい歴史の扉を開いた。

 

◆居酒屋で二次会が始まった

 大先生事務所での検討会のあと、外で軽く一杯やろうということになり、大先生たち一行は、近くの居酒屋に繰り出した。ビールで乾杯し、一通り注文し終わったところで、編集長が口火を切った。

「えーとですね、物的流通という用語ですが、一般的に言えば、新しい言葉というのは、既存の言葉では包みきれない新しい概念を提起するものだと思うんです。その意味では、この物的流通という言葉、そして、それがあらわす新しい概念の登場は、物流の歴史という点で、文字通りエポックメイキングな出来事だったと言えますね」

 大先生が頷いて、話を続ける。

「そうだと思う。物流の歴史という点から正確に言えば、この言葉の登場はエポックメイキングというよりも、むしろ物流の歴史の扉を開いたと言う方が当たっていると思う。その意味では、流通技術視察団の功績としては、Physical Distributionという言葉を持ち帰ったということが実は最大のものだったのかもしれない。まあ、結果論だけどね」

「そうですね、たしかに、視察団としては流通関係の技術を持ち帰ることが使命だったわけですから‥‥」

 編集長が同意し、話を続けようとしたとき、女性記者が突然割り込んだ。

「そのPhysical Distributionという言葉が入ってきたことで、具体的にどんなことが起こったんですか。それがない場合と比べると、どんな違いが出るんですか?」

 突然話を遮られた編集長が、腹いせ風にわざとらしく咎める。

「まったく。そういう含蓄のない質問はするんじゃないっていうの」

 女性記者も負けていない。おもしろい展開になってきた。

「なんですか、その含蓄のない質問って?」

「含蓄のないっていうのは、わからないので教えてくださいっていう安易な質問を言うのさ。まず自分で徹底的に考えて、ここまではわかったけど、ここからはわからないというところを聞くとか、考えた結果自分はこう理解したが、それでよいのか、ということを聞くのが質問ってものさ」

 編集長の解説を聞いて、女性記者が「ふーん」と一呼吸置いてから、「たしかに、そうですね」と素直に頷く。この女性記者は結構素直だ。素直さこそ成長の糧というのが大先生の持論だ。大先生が「へー」という顔で女性記者を見る。それには気づかず、女性記者が言葉を選ぶように改めて質問する。

「前にちょっと話が出ましたが、たとえば、ずっと話題になっていた包装ですが、これは、荷扱いが乱暴なので、あるいは輸送中の衝撃が大きいので厳重な包装をしろということが課題だったと思います。でも、包装という世界だけで考えると包装資材とか包装技術とかに入り込んでいってしまうと思うんです。でも、実は、包装は、荷役方式の改善とか輸送の衝撃を減らす取り組みが優先されるべきだという意見もありました。そういうように、一つの分野に閉じこもらないで、他の分野との関連であるべき姿を求めていくという点で、Physical Distributionという概念の登場は大きな意味があったように思うんです。そういう理解でよろしいでしょうか?」

「なーんだ、わかってるじゃないか。そういう質問はいい質問だ」

 編集長がわざとらしく誉める。女性記者が小さく頷く。それを見て、大先生が答える。

「そのとおりだと思う。包装、荷役、輸送、保管などという活動は、これまでは別々にとらえられていたけど、本来は独立して存在しているわけではなく、いま話にあったように、相互に影響し合っていて、それらの関係性の中で、トータルで最も望ましい姿が求められるというのが基本と言っていい。それらは統合的に管理されるべきものだということを示したという点で、物的流通という概念は評価される」

「統合的に管理することが必要だという意識を持つためには、統合的に規定した概念や言葉が必要になるということですね」

 編集長がしつこく繰り返す。頷きながら大先生が付け足す。

「それ以降、物流にかかわる組織が登場するのも、その概念のおかげだと思う。それまでは、運輸や倉庫を担当する部門はあったけど、物流全体を管理する部門というのは存在しなかった」

「そうですね。たしかに物的流通という統合的な概念が登場しなかったら、物流を管理する部門も生まれなかったわけですね。まあ、いつかは登場したでしょうけど、昭和40年代という早い時期には登場していないはずです。その意味でも、流通技術視察団の功績は大きいな。あっ、40年代には登場するんですよね、物流部門?」

 編集長が、弟子たちに向かって聞く。美人弟子が答える。

「はい、登場します。次回検討したいと思いますが、興味深い話もあります」

「へー、それは次回のお楽しみとして、もう一つ私が関心を持ったのは場所的効用についてです」

 編集長の言葉に大先生が興味深そうな顔で「へー、どんなふうに関心を持った?」と聞く。

 

◆場所的効用を発揮しない物流はやるな

 編集長が、ビールを口に運び、ジョッキを空にする。女性記者が店の人に追加注文するのを見ながら、編集長が話し出す。

「たしかに、当時、場所的効用の発揮に苦労していたことはわかりました。なにせ、荷役が人力ですし、道路は舗装されてなくて、使い勝手のよいトラックもいまのようには使えなかったのだから当然です。それでも、何とか市場に商品を届けたいと頑張っていたわけですよね」

 大先生が頷く。何を言い出すのかと女性記者が怪訝そうな顔で編集長の顔を見る。

「私が声を大にして主張したいのは、いまの時代のことです。いまや輸送環境は抜群にいいのに、場所的効用が発揮されていない物流が少なくないということです。物流担当者は一体何をしているのかということです」

「あれ、編集長は酔っぱらっているの?」

 大先生の言葉に女性記者が悪戯っぽい顔で答える。

「酔っぱらっているわけではなく、気分が高揚しているんだと思います。場所的効用の話で気分的高揚をした。ちょっと寒いですか?」

「ばかか、駄洒落なんぞ言ってるときか。おれは、重大な問題提起をしてるんだ」

 二人のやり取りを美人弟子が引き取る。

「それは、ちゃんと輸送できたとしても、届いた先で使われなかったら、場所的効用の発揮にはならないじゃないかということですね。たしかに、そういう実態はあります」

 編集長が「そうです」と頷いて、続ける。

「前に、先生がおっしゃったように、工場倉庫に置いてある在庫は、価値のないただの物です。それが消費地に移動されることで商品として価値を持つ。ただの在庫を価値ある商品にする働きが場所的効用だということですよね。でも、現実には、消費地の物流拠点に単なる物として置かれたままの在庫が結構あります。私が言いたいのは、場所的効用を発揮しないような物流はやってはいけないということです」

「おっしゃるとおりです。在庫の置き場所を替えただけでは輸送の無駄遣いに過ぎません。その意味で、価値のある物流にするために、いま改めて場所的効用を発揮する物流しかやらないという仕組みを作ることが必要ですね」

 体力弟子の言葉に編集長が大きく頷く。

「そうなんです。私の言いたいのはそういうことです」

「なんだ、いい話じゃないか。酔っぱらっているわけではないんだ」

 大先生が茶化す。

「何おっしゃるんですか。私は酔っぱらってなんかいませんし、酔っぱらっても正論を吐くのが私の特技です」

「でも、しつこいんです。同じことを何度も繰り返し言ったりして‥‥」

 女性記者が噛み付く。この女性記者も結構しつこい。そんなことを思って、顔を見ていると、また、質問がきた。

「これは、正直私にはわからないのでお聞きしたいのですが、さっきからお話が出ているように、たとえば、届かなければ売り上げにならないということですよね。また、物流があるからこそ工場を集約して集中生産ができるというように、物流は企業活動を支える重要なインフラとしての役割を担っていると思うんです。それなのに、正直なところ、物流は、社内的にあまり重視されていないように思えますが、どうしてなんでしょうか?」

 大先生がどう答えようかと考えていると、編集長が私見を披露した。

「要は、物流は、端的に言えば、運ぶ、保管するという簡単な仕事であり、誰でもできる仕事という認識があるんじゃないかな。だから、社内的に重視されない」

 大先生が続ける。

「たしかに、そういう側面もあると思う。それと、当時は、売上至上主義で、とにかく作れ、作ったものを売れという以外あまり考えなかったという一面もある。企業が重視するのは売り上げを確保するまでの活動、たとえば新製品開発、生産、マーケティング、営業といった一連の仕事で、売った後の活動である物流などには考えが及ばなかったということもあると思う。まあ、いまは大分違ってきていると思うけど‥‥そのあたりは次回のテーマでもあるな」

 編集長と女性記者が大きく頷く。

 

◆官民一体の物流コスト削減

「企業の物流への期待という点では、やはりコスト削減が大きかったようですね。新設される物流部門の大きなテーマだったようです」

 美人弟子の指摘に編集長が質問する。

「その点については、先ほど見せていただいた日経の記事に物的流通コスト削減と大きな見出しがありましたよね。行政も関心を持っていたようですが、それはなぜですか?」

「要するに、企業の競争力強化のため、行政の立場から物的流通コストの削減を支援しようとしていたようです」

 美人弟子の答えに大先生が付言する。

「物流コスト削減といっても、一企業ではどうにもならないところがある。インフラ整備とか‥‥」

 大先生の話に女性記者が割り込む。

「一企業でできるのは運賃叩きくらいです
よね」

「そう言っては身も蓋もないけど、企業の取り組みに行政の支援が必要だったことは間違いない」

 体力弟子が鞄からごそごそと日経の記事のコピーを引っ張り出して解説する。

「当時の通産省がやろうとしたのは、まず品目別の物流コストの実態について調べること、それから、産構審の中に物的流通委員会を設けて、パレット輸送の普及、ユニット・ロードシステムや一貫パレチゼーションを確立するためのパレット・プール制を研究することなどを考えていたようです」

「パレット輸送が普及すれば、さっき話に出た包装費の大幅な削減にもつながりますよね?」

 女性記者が誰にともなく聞く。みんなが頷く。編集長が体力弟子に質問する。

「物流関係のインフラ整備にも力を入れたんですよね?」

「はい、この記事では、交通の要地に流通センターを置き、これまでの貯蔵本位の倉庫から物の流出入を調整する流通倉庫に発展させるとか、鉄道や道路、港湾、通信施設など公共投資が不十分であるなどという認識から社会資本の充実を中心に総合的な流通政策を進めるといったことが言われています」

 美人弟子が話を引き取る。

「この記事で興味深いのは、物流を『PD』と表記していることです。このPDには、(フィジカル・ディストリビューション、物的な流通)という説明がカッコ書きでなされています」

 編集長が、いま気が付いたという感じで、コピーを覗き込む。

「あっ、ほんとだ。『大量生産−大量販売を結ぶPDにはまだ合理化の余地が多い』とか書いてありますね。えーと、PDコスト、PD部門、PD技術・・・徹底してPDですね。物的流通という言葉を使い始めた頃は、物流はPDというように呼ばれていたってことですね」

「頭文字を取っただけの言葉は、それこそ含蓄がないです。これでは、新しい概念という感じがしません。物的流通という言葉になってよかったです」

 女性記者が妙な感想を述べる。隣で編集長が「まあ、その気持ちもわからないでもない」とか言ってビールをぐいっと空ける。それを見て、女性記者が「済みませーん。生二つお願いしまーす」と声を張り上げた。

 

7回 鉄道からトラックへのモーダルシフト

日本の国内貨物輸送量は高度経済成長期に爆発的に増加した。これに伴い鉄道からトラックへのモーダルシフトが急速に進んだ。膨れあがった輸送需要を当初は荷主の自家用トラックが担い、次第にそれが運送業者の営業用トラックに置き換えられていった。マクロ統計の長期推移には時代の大きな変化が表れている。

 

◆高度成長期談義が始まった

「実は私、先生の温故知新の連載を読ませていただいて、急に興味を持ちましてね‥‥」

 ある物流関係の委員会の帰りがけに、出席者の一人に呼び止められ、話し掛けられた。あるメーカーの物流部長で、以前から顔見知りではあったが、これまであまり親しく話したことはなかった。

「興味って、何にです?」

「はい、高度成長期についてです。それで自分なりにいろいろ調べてみました」

「へー、そうですか。高度成長期については懐かしいという感想を何人かの方たちからいただきました。みんな、あなたより年長ですけど‥‥」

「そうですか。あのー、もし先生のご都合がよろしければ、どこかでお話しさせていただきたいのですが、いかがでしょうか?」

 大先生が「いいですよ」と即答する。物流部長が嬉しそうに頷いて、近くの店に案内する。前に何度か利用したことがある店のようで、慣れた感じで入っていく。まだ夕方ということもあり、客の姿はまばらだ。ビールで乾杯すると、物流部長が早速話し始めた。

「いろいろ調べてみると、高度成長期というのはおもしろいですね。一言でいうと、奇跡の時代と言っていいんじゃないでしょうか」

「そうですね。1950年代半ばから70年代初めごろまでの20年足らずですが、平均で毎年10%超の成長を示したのですから、たしかにすごいです」

 物流部長が、大きく頷き、やや興奮気味に話す。

68年には、米国に次いで世界第二位の経済大国になってるんです。世界第二位という認識は、私などは当たり前のように持ってましたが、改めてそれが、戦争が終わってからたった20年強で実現したというのを知って、ちょっと驚きました。世界の歴史を見てもそんな成長を記録した国なんてないですよね」

 物流部長の勢いに押されるように、大先生がちょっと引いて、ぼそっという。

「米国の占領政策が変わったせいでしょ。語弊があるかもしれませんが、冷戦構造のおかげといっていいんじゃないでしょうか」

「そうなんです。ちょっと調べてみましたら、当初米国は、日本を無害な小さな国にしようとしていたらしいんですが、冷戦構造ができつつあったり、朝鮮戦争が起こったりしたことで、急遽日本を対共産主義の盾にしようとした。そこで、急いで日本を自立させるように政策を変更したようです。あっ、これは、もちろん歴史書の受け売りです」

「へー、いろいろ調べてるんですね」

「はぁー、でも、ご多分に漏れず、ネットの検索です。勉強したわけではありません」

「いやー、ネット検索だから勉強じゃないというわけではないでしょう。調べるのが便利になったということです。重要なのは問題意識です。そうそう、当時の経済拡大の柱になった政策に傾斜生産方式というのがありましたよね‥‥」

 大先生の言葉に物流部長が待ってましたという感じで、大先生の話に割り込む。

「はいはい、ありました。これもネット情報ですが、日本の工業生産力を高めるために、石炭や鉄鋼といった産業の強化に経済政策を集中させたらしいんです。これらの基礎的資材の生産量を増加させることで、他の産業の生産力を増強させるという循環を作り出したようです」

「そのようですね。石炭の生産に向ってすべての経済政策を集中的に傾斜せしめるという意味合いなんですね」

 

◆自家用トラックが急増する輸送を担った

「ところで、物流という点では、何か興味を持たれたことはありますか?」

 大先生が話題を変えるように質問する。そう聞かれて、それまで雄弁だった物流部長がちょっと口籠って、「やっぱり特徴的なのは、鉄道からトラック輸送への転換が進んだということではないでしょうか」という。

「そうですね、国民生活でも車が主役になってきますね、その頃から。モータリゼーションなどと言われてましたが‥‥」

 大先生の言葉に物流部長がまた息を吹き返したように雄弁になる。

「例の三種の神器を引き継ぐ形で3Cの時代に入ります。カラーテレビにクーラーに車、カーですね。マイカーなんて言葉が出始めた頃ですから、車への関心は高かったと思います。車のための道路整備もどんどん進みました」

 大先生が頷いて、言葉を挟む。

「オリンピックが後押しした?」

「そうです。オリンピックの開催が決まったのが、開催の5年前の59年ですが、その年に道路公団のようなものが作られて、道路建設に乗り出したようです。手っ取り早い方法として‥‥」

「河川を埋め立てて道路に替えていった」

 大先生が答えを先に言う。

「は、はい、安易と言ったら安易ですが、手っ取り早く作れることはたしかです。なんか、戦災の瓦礫処理の一環としても川の埋め立てが行われたそうです」

「へー、そうですか」

 大先生の返事が気乗りしないように感じたのか、物流部長が、鞄から手帳のようなものを出し、ページを繰っている。そして、話題を戻す。

「えーとですね、当時の物流の状況としては、鉄道からトラックへというモーダルシフトがかなり急テンポで進んだようです。ちょっと調べたんですが、あっ、実は私、これまで輸送統計などあまり見たことなかったんですが、トン単位とトンキロ単位とではずいぶん違った結果が出るんですね」

「トンキロは、輸送量に輸送距離を掛けて出すわけですから、輸送機関の特徴が端的に現れます。当然、長距離を得意とする鉄道や海運などのシェアが高まります」

「おっしゃるとおりです。まず輸送量で当時の状況を見てみますと、こうなります。えー、総輸送量ですが、1960年の場合、約15億トンです。15億トンといっても、ぴんときませんが‥‥」

「私もです」

「そうですよね‥‥、この輸送量が10年後の1970年には約53億トンになります。なんと10年間に3.5倍ですから、その急増ぶりには驚かされます。これでは、輸送機関が付いていけない感じです」

 大先生が頷いて、質問する。

「その輸送機関ですが、その分担率はどうなってます?」

「はい、明らかに特徴的な動きになっています。まず鉄道が15%から約5%にまでシェアを落としています。ただ、全体の輸送量が伸びていますから、鉄道が運んでいる量は微増になってます」

「そうなると、輸送量の伸びを吸収したのはトラック輸送ということになりますね?」

 大先生の確認に物流部長が手帳を見ながら、大きく頷き、続ける。

「そうです、トラックが輸送量の伸びに付いていったということです。ただ、トラックといっても、自家用輸送が主役です。70年時点でのシェアでいいますと、営業用トラックは21%、自家用がなんと67%です。この頃は一貫して自家用トラックによる輸送が伸びているということです」

 大先生が小さく頷く。物流部長が続ける。

「前に先生が、当時は、物流は自前主義で、基本的には荷主が何でも自分でやる。自分たちではできないところ、効率に問題のあるところを営業用に任せるという役割分担だったと書かれていましたが、たしかにそれを端的に表している数字だと思います」

 大先生が頷きながら補足する。

「トラック業者や倉庫業者が商売としてやっていることは、長距離の路線トラックなどは別として、すべてアセットさえ入手すれば荷主でもできることという位置づけだったわけです。物流業者からすれば荷主業務の代行という感覚になってしまった。その結果、物流業者のプロ意識が醸成されない関係が作られ、それがずっと尾を引いていると思いますね」

「はー、おっしゃりたいことは何となくわかりますが、先生がよく主張されている『3PLは時代を転換させる存在だ』ということと関連するのでしょうか?」

「そうです。当時、荷主の物流担当者は何でも自分でやりました。拠点配置はもちろん拠点内のレイアウトや作業システム、作業者の手配やトラックの手配、場合によっては配車まで自分でやった。でも、これらは、本来物流のプロとして物流業者がやって然るべきものです。でも、それができる事業者がいなかったというのが当時の状況です。物流業者は荷主の求めに応じてトラックや倉庫を提供するだけという役割に甘んじたってことです。こういう荷主と物流業者との関係を1PLといいます」

 「なるほど、そういう1PLでずっときたわが国の物流の歴史の中で、いま物流業者が荷主に代わって物流を管理する時代になった。それが3PLで、まさに時代の転換を象徴するってことですね」

「そう。さっきの委員会でも話題になっていましたでしょ。最近、物流関係のセミナーの受講者の多くが物流業者や物流子会社で、荷主の受講が少ないのは問題だという意見も出てましたが、私は、メーカーでいえば、工場倉庫から顧客納品までの物流は、一貫して物流業者が担えばいいと思ってますので、物流業者や物流子会社が積極的に勉強を始めたことはいいことだと思ってます。荷主の物流担当者はロジスティクスをやればいいんですよ」

 大先生が、これで話を終わりにするという感じで締め括ったため、物流部長は質問したいことがあったが飲み込んでしまった。

 

◆営業用トラックが存在感を増した

 大先生が物流部長の手元の表を覗き込むようにして聞く。

「そこにある表ですが、ずいぶん数字が並んでいますね。最近まであるんですか?」

「はい、トンベースとトンキロベースの数字をコピーして持ってます」

「参考までに教えてもらいたいんですが、60年当時と最新の輸送機関分担率を比べると、どうなっていますか?」

 物流部長が嬉しそうに頷いて、表を見ながら説明を始める。

「えーと、まずトンベース、つまり輸送量ですが、60年の鉄道のシェアは15%でした。それが最新の数字、2009年のものですが、何0.9%です」

 物流部長がもったいぶった感じで数字を示す。大先生が小さく頷く。大先生のあまり驚いた様子もない反応に、拍子抜けした感じで物流部長が続ける。

「同じように見ていきますと、海運は9.1%から6.9%になっています。これに対して、営業用トラックが25%から56%へと大きくシェアを伸ばしています。そして、自家用トラックは51%から37%に落ちています。こんな感じですが、やはり営業用トラックの拡大が目立ちます。ただ、営業用トラックと自家用トラックのシェアが逆転したのは、意外に遅くて、2000年のことです」

「そうですか、私も正確な年は知りませんでした。でも、着実に営自転換が進んでいるってことですね。ちなみにトンキロではどうなってますか? 最新の分担率だけ教えてください」

「はい、えーと、2009年度で、鉄道が3.9%、海運が32%、営業用トラックが56%、自家用トラックが7.9%です」

「なるほど、営業用トラックがかなり長距離輸送も担っているってことですね」

「はい、でも、これからはドライバー不足、特に長距離のドライバーのなり手が減ってるといいますから、どこかで下降に転じるんでしょうね」

「そう、トラック業者が鉄道を使うというケースが増えるかもしれません。それに鉄道がどれだけ応えられるかってとこですね。それはいいとして、大変興味深いデータを有難うございました」

「いえいえ、ネットからデータをコピーしただけです。でも、私どもは、いまはトラックを自由に使えてますから、ずいぶん楽ですけど、60年代の物流担当者は苦労が多かったでしょうね。輸送に苦労したはずです」

「そうです。トラック業者の存在感を再認識すべきでしょうね。いまや荷主がトラックを動かすなんてできません。労務管理や事故対策、環境対応、安全対策などもはやプロでなければ無理です」

「おっしゃるとおりです。その意味では、60年代の物流担当者がどんなことをやっていたか、大変興味があります」

「そのあたりについては、次回にでも紹介したいと思います」

「楽しみにしています。今日は先生とお話しできてよかったです。そろそろ食事でも頼みましょうか‥‥」

 そう言われて、急に空腹感を覚えた大先生が大きく頷いた。

 

8回 物流黎明期の取り組みに学べ

日本の物流が黎明期を迎えた一九六〇年代後半、有力メーカーはそれぞれ物流の本来あるべき姿を目指して新たな挑戦を開始した。今日の我々がそこから学ぶべきことは少なくない。日々のオペレーションに追われ、物流管理の原点を見失ってはいないか。先人たちの取り組みはそう問いかけている。

 

◆PD、物的流通、物流の併用

 雲一つない秋晴れの中、編集長と女性記者が大先生事務所を訪れた。

「今日はいい天気ですね。ビルの中にいるのがもったいないくらいです」

「それじゃ、検討会は延期して、外に散歩に行く?」

 大先生の言葉に編集長が慌てて否定する。

「それはだめです。締め切りが迫ってますから」

 全員が席に着き、お茶で一息入れると、編集長が口火を切った。

「早速ですけど、今日は、昭和40年に物的流通という概念が公にされてから以降の動きについてお話を聞きたいと思います。昭和40年代前半、えー、西暦でいうと‥‥」

1960年代後半です」

 編集長が年代確認のためノートを見ようとすると、女性記者が何も見ずに答える。

「へー、すごいな。昭和と西暦の関係が頭に入ってるんだ?」

「感心されるほどのことでもありません」

 編集長がさらに何か言おうとするのを大先生が遮った。

「それはいいとして、今日は、昭和40年代前半の動き、つまり物流の黎明期についてみてみようということだ」

「そうです。物的流通の登場以降、企業の物流管理になにか変化はあったのかということです。そう言えば、物流管理という言葉はその頃、つまり昭和40年代初めごろには、まだ登場してないんでしたっけ?」

 編集長が弟子たちを見ながら聞く。美人弟子が答える。

「それが、物的流通が公になった翌年には、物流管理という言葉が新聞に登場しています。企業の物流担当者の間でも使われ始めていたようです」

 編集長が、意外そうな顔で呟くように言う。

「そうですか、私は、前に先生が、昭和45年を物流管理元年だということをおっしゃっていたように記憶していたものですから、物流管理という言葉が登場するのは45年くらいかなと単純に思ったわけです」

 大先生が「へー」という顔で、編集長を見る。

「物流管理元年だなんて、よく覚えていたな。元年というのは、言葉の登場ではなく、その概念が浸透し始めた年を言っている。なぜ、昭和45年を物流管理元年と言ったかについては追々話すとして、昭和40年代前半という時代は、物的流通とか物流、あるいはPhysical Distributionの略語としてPDなんて言葉が混在して使われていた時代といっていい。言葉の登場の順番としては、当然、PD、物的流通、物流の順だけどね」

 編集長が頷き、改めて質問する。

「それで、その時代は、どんな動きがありましたか? やっぱり、輸送するだけで精一杯って感じですか?」

 美人弟子が頷いて、言葉を選ぶように答える。

「黎明期の特徴なんでしょうけど、企業間で大きな格差があるようです。積極的に進んだ取り組みをしているところもあれば、おっしゃるように運ぶことに四苦八苦しているところもあります」

「いまも格差はありますが、黎明期は当然格差が大きいでしょうね。その違いは、どこから出るんでしょうか?」

「やはり、担当者の意欲というか資質に起因することは否定できないと思います」

「そう言えば、先生も、前に、黎明期の物流は、会社名と共に個人名が付いて回るって言われていましたけど、熱心な開拓者がいるかどうかなんですね。それで、積極的に取り組んでいるという会社ではどんなことが行われていたんですか?」

 

◆『ノークレーム、ノートラブル』

 そう言われて、美人弟子が数枚のメモを編集長と女性記者に配る。そこには、新聞記事から抜粋した各社の物流への取り組み内容が社名と共に列挙されていた。

 編集長と女性記者が興味深そうに、内容を目で追う。編集長が「へー」と言いながら、ある個所に蛍光ペンで印をつける。

「この光学機器メーカーは、社長が『ノークレーム、ノートラブル』という標語を掲げて物流部門に発破を掛けたようですね」

「それはそうです。お店に到着したカメラの約3割が品質不良だったというのですから、放置しておけば、会社存続の危機に陥ります。梱包の改善とともに、ストックポイントを全国に9ヵ所設けて在庫を配置し、注文から3日以内に届ける体制を作ったようです」

 美人弟子の説明を頷いて聞いていた女性記者が、突然口を挟んだ。

「その意味では、この会社はおもしろいですね。電機メーカーですけど、電算機の裸輸送を実現したとあります。梱包費がゼロだそうです。昔は電算機って言ってたんですね‥‥」

「そう、オフィスコンピュータを略してオフコンとも言っていた。そう言えば、コンピュータの裸輸送の話は聞いていましたけど、えーと、昭和43年ですか、こんな頃から取り組んでいたんだ。それは知らなかった」

 編集長が感心したように言う。体力弟子が頷いて、「エアクッション付きの特殊トラックを開発したようですね」と言う。大先生が思い出したように言葉を足す。

「そう言えば、裸輸送にした結果、それがコンピュータだと一目でわかるので、荷扱いも運転も慎重になったという心理的な効果も大きかったという話を聞いたことがある」

「梱包を頑丈にする会社と梱包をやめてしまう会社と対照的だな。やっぱり輸送や荷役の仕方が大きいですね」

 編集長の言葉に体力弟子が答える。

「メーカーさんを中心に、ラック倉庫、パレットの利用、フォークリフトによる荷役方式の導入という定番のシステムが盛んに普及し始めたと言っていいと思います」

「あるビールメーカーさんは、パレチゼーションを徹底的に推進しています。工場や支店倉庫ではもちろんパレットで動かしていますが、特約店倉庫までパレチゼーション化を普及させようとしています」

 美人弟子の説明に編集長が頷く。美人弟子が続ける。

「その会社で興味深いのは、全社の物流を一本化するために本社に輸送課という一元管理を担う部署を設けたことです。それまでは、工場の物流は製造部門が、製品の保管や輸送は営業部門が管理していて、一貫した輸送が妨げられていたため、輸送課が一元管理をするようにしたようです。本社輸送課は、工場の在庫量、生産能力、輸送能力を把握することが不可欠だったとありますから、工場から特約店までの適時適量の輸送を実現しようとしたんだと思います。それもパレット単位で・・・」

「なるほど、一定の単位で必要量だけを動かすというのは物流の原点ですよね。それを担う部署が物流部門だったんだ。当たり前といえば当たり前ですけど、そういう話を聞くと何か新鮮な気持ちになるのは、なぜでしょうか?」

 編集長が妙な感想を述べる。

「いまの物流が、その原点とかけ離れた存在になっているからじゃないの」

 大先生の言葉に編集長が「たしかに、そうかもしれません」と頷き、「そう言えば」と続ける。

 

◆メーカー物流部門の黎明期

「これも先生から聞いた話だと思うんですけど、黎明期の取り組みは、すべて物流の原点を踏まえた取り組みで、学ぶべきことが多いっておっしゃってましたね?」

「それはそうだよ。物流っていう概念が入ってきた、物流管理という管理領域が生まれた、となると、そもそも物流とは何なのか、物流管理とは本来何を成すことなのかって考えるだろ?そこで出てくる答えは、必然的に、すべて本来あるべき、目指すべき姿ということになる。もちろん、それが、すべて現実のものになったかというと難しかっただろうけど、その目指したところは素晴らしい」

「そこから学べということですね」

「そう、現実に、いま、先進的と言われている会社は改めて、その方向に向かっている」

「なるほど、いまや、日々の物流に四苦八苦するだけの物流部というのが少なくないですから・・・」

「えっ、そうなの? そんな悪口言っていいの? おれはそんなこと言ってないからな」

「また、そういうこと言う。そう言わせているのは先生ですよ」

「まあ、たしかに、間違ったことは言ってない。存在価値を見失った物流部や物流子会社が少なくないのはたしかだ」

「あれ、これ見てください。おもしろいですね」

 編集長と大先生が本質に迫る話をしているとき、女性記者が勝手に話題を変えた。

「これ、荷主の物流担当者の言葉ですよね?綺麗ごとなんでしょうか、本気なんでしょうか?」

 女性記者が興味を持ったのは、運賃に対する荷主の声である。そこには、こんな言葉が並んでいる。

・運賃を叩けばそれだけ品質に影響する

・運賃を叩いて物的流通費を削減するというような考えは邪道だ。輸送手段、経路などを内部的に改善していくのが本筋だ

・安全、確実であることが運送の絶対条件だ。その輸送価値に対しては適正な運賃が支払われねばならない

 声に出して読んでいた編集長が、笑いながら「かなりな部分、綺麗ごとじゃない?」と言う。それに女性記者が異を唱える。

「でも、これ社名も担当者名も実名ですよ。かなりな部分、本音じゃないですか?」

 二人のやり取りを受けて、体力弟子が意見を言う。

「こちらの記事を見てください。化粧品メーカーの担当者の言葉ですが、『帰り便で安くするのでウチに荷をくれ方式のセールスが相変わらず多いが、当社の場合、その手の業者にはお引き取り願うことにしている。そういう会社に限って、付き合い始めると、ほどなく運賃アップを交渉してきたり、輸送の質が劣ったりする』というようなことを言ってます。かなりな部分かどうかはわかりませんが、単に運賃が安ければいい、運賃は叩くものという感覚を嫌う物流担当者もいたようです」

 大先生が続ける。

「当時、物流の取り組みに熱心なところでは、『運賃を叩くことで物流コストを下げようと思うな。効果は小さいし、後遺症が心配だ。物流コストは仕組みで落とせ。それをやるために物流管理が存在する』という考えが支配的だったと言っていい」

 大先生の言葉に編集長が感心したように、何度も頷いて言う。

「なるほど、かっこいいな。物流管理に運賃を叩くなどという方策はないってことだ。でも、たしかにそうですね。物流という概念が仕組みそのものですから、それを管理する物流管理は仕組みの見直しを本筋にするわけだ。うん、おもしろい」

 体力弟子が、別の興味深い取り組み事例を紹介する。

「仕組みという点では、この取り組みも興味深いです。ある製薬メーカーですが、顧客への出荷拠点とそこに補充する在庫拠点との機能区分を明確にするということです。特に出荷の拠点については『販売と直結した在庫を持て。出荷に合わせて入庫させろ』という表現を使っています。つまり、営業の都合などで在庫をたくさん持つことはやめようというまさに本筋の取り組みです」

 

◆販売に直結した在庫を持て

 美人弟子が、編集長を見ながら、また別の事例を紹介する。

「在庫の配置については、輸送力の不安定さをカバーするために顧客のそばに在庫を多く持ってしまうというケースもあるようです。たとえば、これは食品メーカーさんの話ですが、全国125ヵ所に自家倉庫を配備したそうです。そこにたくさん在庫を置いているようですが、それは、国鉄を始めとして安定した輸送の確保が難しいからだと言っています。輸送力の弱さを在庫でカバーせざるをえないという、まさに輸送と保管との関係を如実に示した話です。在庫は多いですが、決して本筋を外れた取り組みではありません」

 編集長が、大きく頷いて感想を述べる。

「いまでも顧客のそばに在庫を多く抱えている会社がありますが、それは過去の延長線上にあるということですね。いまや輸送力は格段に良くなったのに、在庫の持ち方は昔から変わっていない。これは明らかに本筋を外れている。たしかに、こう見てくると、黎明期は本筋の話が多いです。それに引き替え、いまの物流を見ると、本筋から離れた実態にあるというのは、ちょっと考えさせられます」

 編集長の言葉にみんなが頷く。

「それでは、このへんでちょっと休憩にして、コーヒーでも煎れましょうか」

 美人弟子の言葉に全員が大きく頷いた。

 

9回 花王の販社制度改革を振り返る

日本の消費財業界を代表する物流先進企業として知られる花王。その原点は、同社が昭和40年代に実施した販社制度改革にある。既存の問屋流通に代えて、各地に自社系列の販社を設立、中間流通の直接コントロールに乗り出した。しかし、思うように機能しない。前近代的な物流が営業活動の足枷となっていた。

 

◆花王の物流黎明期

 編集長がコーヒーを片手に、思い出したように大先生に聞く。昭和40年代前半、西暦で言うと1960年代後半の物流事情について議論し、休憩に入ったところだ。

「そう言えば、以前、先生の書かれたご本の中に花王の話があったように記憶しています。花王はいまや押しも押されもせぬ物流先進企業ですが、昭和40年代前半のころは大変な状況にあったようですね?」

 大先生が「そうそう」と言って頷き、「まあ、当時はどこのメーカーも物流はなおざりにされていたので、花王に限ったことではないけど、花王は、特別な事情があって物流が大きな問題になった。いまや花王の人たちも知らない話だと思うけど・・・」と言う。

 大先生の言葉に女性記者が興味深そうに「どんな事情があったんですか?」と聞く。

「たしか、販社制度の導入が関係していたんじゃないかな。でしょ?」

 編集長の言葉に大先生が頷く。

「そう、昭和40年代前半はスーパーが台頭してきた時期で、当然、安売りを行ったんだけど、花王製品のようなトップブランドの商品がその目玉として狙われた。花王に限らずメーカーとしては、それは回避したいところ。ただ、スーパーに販売していた問屋には、それに対抗するだけの力がなかった。そこで、花王はその対抗策として問屋との共同出資で販社を立ち上げたわけだ」

 女性記者が「へー、その販社が関係してくるんですね」と相槌を打つ。

「当時は、高度成長期の真っただ中だから、いまでは考えられないけど、どの企業も年間20%から30%という売上増を達成していた。ところが、花王は10%にもいかない成長に留まらざるをえなかった。その大きな原因が営業力の低下だった。販社ができて、販社がカバーする地域の営業は販社営業に移管されたのだけど、営業マンがなかなか集まらなかったという事情に加えて、営業マンがいても、営業に出られるのは昼過ぎになってしまったという状況だった」

「人数が足りないだけでなく、営業に割ける時間が少なかったということですか?」

 女性記者の確認に編集長が茶々を入れる。

「午前中はお茶を飲んで過ごしていたということではないよ」

「誰もそんなこと思いませんよ。午前中は物流の作業に追われていたということじゃないんですか?」

 女性記者の言葉に編集長が驚いたような声を出す。

「えっ、何でわかったの? えらい!」

「えらくなんかないです。いま物流の話をしているんですから、それくらい推測はつきます」

「それはそうだけど‥‥」

 編集長がまだ何か言おうとするのを大先生が遮った。

「その通り。午前中は、商品の入出荷に追われて営業に動くことができなかった。当時、商品は販社の2階に置かれていて、それも雑然と商品が放り込まれている状態だったそうだ。そんな状況では、当然、出荷は大変だ。遅配はもちろん誤配も多発して、著しく物流サービスが低下し、売上に支障を来したということのようだ」

「事務所の2階を倉庫にしたということ自体、物流軽視ですけど、売上に支障を来すほど出荷が滞ったというのもすごいですね」

 大先生の話に編集長が思わず口を挟む。大先生が続ける。

「花王では、このまま物流を放っておいたら販社制度そのものが崩壊するという強い危機感のもとで、昭和44年に『物流近代化五カ年計画』が作られ、その後、あの有名な取り組みがスタートする」

「やはり近代化だったんですね」

 女性記者が考え深げに呟く。

「後のことだけど、その物流改革を任された人に話を聞いたことがある。その人は、物置き同然の倉庫、その中は乱雑に積まれた商品の山、在庫管理はまったくできていない、積み下ろしに多くの時間が掛かるという状態で、近代的な生産部門との大きなギャップに本当に驚いたと言っていた」

 

◆物流合理化の王道

「いま、『あの有名な取り組み』とおっしゃいましたが、有名というのはどういうことだったんですか?」

 女性記者が興味深そうな顔で聞く。大先生が頷いて、編集長の顔を見る。突然、答えを求められて、編集長が戸惑ったように「えーと、何でしたっけ?」と言う。大先生が女性記者の顔を見て、答える。

「当然だけど、最初に取り組んだのは、メーカーの物流を合理化することだった。これが、物流近代化計画。そこでの基本思想は、機械でできるものはすべて機械に任せるというもので、工場から販社への一貫パレット輸送なども実現した。ただ、すぐにメーカーの物流だけを対象にしていてもだめだと気が付いた。これがポイント・・・」

「あっ、そうでした。販社を含めた合理化を考えたんでした」

 編集長が思い出したのか、突然、大先生の話に割り込んだ。大先生の話を聞いていた女性記者が編集長をにらむ。大先生が苦笑しながら続ける。

「正確な表現ではないかもしれないけど、その改革を担っていた人は、『メーカーの物流を近代化しようとしたら、メーカーの守備範囲でいくら考えても限界がある。荷受け側である販社も含めて考えないと、真の合理化は達成できない』というようなことを言っていた。まさに物流合理化の王道で、その後、これを着実に実行していく。この取り組みを有名と言ったわけさ」

「そうですか、当時からそんな考えで取り組んでいたんですか。さすがですね」

 女性記者が感心する。編集長が、待ってましたとばかりに補足する。

「たしかに、メーカー側でパレット輸送をしたいと思っても、荷受け側がパレットで取ってくれなければ、あるいはフォークリフトがなければ、その有効性は大幅に阻害されてしまう。また、荷受け側でスムーズに荷卸ししてくれなければトラックの効率が低下してしまう。さらに、荷受け側で在庫管理ができていなければ、市場動向とは関係のない、いい加減な注文を出してくる。いい加減とわかっていてもメーカーはそれに応えなければならない。わかるだろ? 本当に物流を適正にしようと思ったら、荷受け側との連携が不可欠だってこと」

「それって、いまでいうSCMですね?」

 女性記者の言葉に編集長が「ん? そ、そうだな」と言って、続ける。

「ただ、その取り組みに対して、花王は販社制度を取っているからそういう取り組みができるんだという声もあった。そうでしたよね?」

「そういう声もたしかにあった。ただ、そういう外野席の声はどうでもいい。花王がそういう取り組みをしたというのは画期的なことだった。この考えをベースに新たに作られたのが『流通近代化五カ年計画』で、これは昭和45年にスタートしたものだ。その詳細については、また改めてということにしよう」

「えー、また改めてですか‥‥」

 女性記者が、残念そうな声を出す。編集長が「たしか、花王はその後、10年以上かけてロジスティクスシステムを構築していくのだから、先は長いぞ。またにしよう」と念を押す。

残念そうな女性記者の顔を見て、大先生が「さわりだけ言うと、中でも有名なシステムが『オンラインサプライシステム』というもので、これは販社の在庫を花王籍にして、販社からの出荷動向を見ながら、花王側で必要量を送り込むという仕組みだ。いまではめずらしくないけど、当時とすれば画期的だった」と補足する。そのまま花王の話になってはまずいと思ったのか、編集長が、話題を変えるように弟子たちに向かって質問する。

 

◆半世紀にわたる懸案事項

「当時の業界紙の記事に在庫管理という言葉がよく載っているように思うんですが、これって、在庫を市場動向に合わせて維持するという管理ですか、それとも在庫の現物を傷つけたり、なくしたりしないようにする現場での現物管理のことですか、どっちを言ってるんでしょうか?」

 美人弟子が頷いてファイルから記事のコピーを取り出す。

「これは、昭和44年の業界紙の記事ですけど、在庫管理をテーマに座談会をやっています。メーカーや商社の担当者がお話ししています。ここで取り上げられているのは、適正数量を維持するというマネジメントです」

「やっぱりそうですか。適正な在庫を維持しないと物流に悪影響が出るという理解だったんでしょうか?」

「そのようです。そうしないと、保管スペースがいくらあっても足りないという話や都内の倉庫でいま以上の拡張は難しいので、いまの規模で間に合うように在庫を管理するという話が出ています」

 美人弟子の後に体力弟子が続ける。

「興味深い話もあります。商社の方ですが、『お客さんが、商社の倉庫を自分の倉庫として利用するんですよ、この国は‥‥』って言ってます」

「へー、おもしろいですね。もうその頃からそんな状態だったのですね、この国は」

 女性記者が茶目っ気を見せる。体力弟子が構わず、コピーを見ながら続ける。

「その後に、こんなことも言ってます。『その結果、出荷ロットが非常に細分化されてきてます。メーカーからは大ロットで入庫、出庫するときは小ロット、これでは辛いですよ』って」

「なるほど、もうその頃からなんですね、多頻度小口は。まあ、仕入先の倉庫を自分の倉庫代わりに使うんだから、そうなりますね」

 編集長が、やれやれという顔で呟く。美人弟子が頷いて、コピーを手に取る。

「その話と関連して、有識者という立場の方がドイツの例を紹介しています。記事を読んでみます。『従来、カーメーカーなどは、下請会社に部品をストックさせておいて、要るだけ、生産ラインに応じて持ってこさせていたんだが、これは親会社が下請に一方的な在庫保持を強要してたんですね』と指摘されています。そして、これは、トータルでとらえればよくないことなので、いまではドイツでは止めたということを強調しています」

 弟子たちの話を聞いて、編集長が大きく頷き、吐き出すように意見を言う。

「やっぱりそうですか。なんか物流は成長してないな。そう思いません? 輸送や保管や作業などは技術的に進歩していますが、物流を最適化する、物流をきちんと管理するというレベルでは昔から変わってませんね」

 大先生が楽しそうに編集長の顔を見る。編集長が「そうですよね?」と大先生に念を押す。大先生が頷く。

「たしかに、物流にかかわる本質的な問題は昭和40年代にはすでに指摘されていて、それへの対応が急務だと喝破されていたと言っていい。それが何も解決されず、いままで半世紀近くも同じ問題に悩まされている企業も少なくない。たしかに物流はちっとも進んでない」

 大先生の言葉に女性記者が「やっぱり本質というのは変わらないということですね」と相槌を打つ。大先生と編集長が顔を見合わせて小首を傾げる。

 

◆在庫管理が大きなテーマに

 女性記者が「何か変なこと言いました?」と二人を睨む。美人弟子が笑いを堪えるようにして、別の話題を提供する。

「先ほどの有識者の方が、最後にこういうことを言ってます。『将来の展望としては、企業競争の激化−増産−販売の拡大−商品種の多様化という流れの中で在庫管理が大きくクローズアップされ、経営者は、この分野が未開拓だけにコストダウンの可能性を秘めていることに気付くべきだ』と結論付けています。これも慧眼と言えますね」

 女性記者が、大きく頷いて、「そうですね。私も『いいね!』をクリックします。それから・・・」と言って、ノートパソコンで何やら調べている。突然、大きな声を出す。

「なるほど、慧眼ってこういう意味だったんですね。慧眼という言葉にも『いいね!』です」

「おいおい、なんなんだ、それは」

 編集長が呆れたような声を出す。女性記者が「なんか文句でもあるんですか」と居直る。大先生が二人のやり取りを呆れたように見ている。

「別に文句があるわけじゃないけど・・・まあ、わかりやすい感情表現ではあるな」

 編集長が、分が悪いと思ったのか、矛を収めてしまう。外は、もう暗くなってきた。

「それじゃ、今日はこれくらいにしようか。今日のやり取りで2号分くらいの内容にはなっただろ?」

「はい、おかげさまで。あっ、せっかく皆さん、お集まりですから、私どもの奢りで二次会などいかがですか?」

 編集長の誘いに大先生が「いいね」と言って、にっと笑う。編集長がわざとらしく仰け反る。女性記者がにこにこ顔で小さく拍手する。

 

10回 日本の物流団体の誕生

大先生は1970年を日本の“物流元年”と呼ぶ。この年、日本に二つの物流団体が設立されている。日本能率協会を中心とする「日本物的流通協会」と、日本生産性本部系の「日本物流管理協議会」だ。この両団体が1992年に統合されて、現在の日本ロジスティクスシステム協会(JILS)が誕生する。大先生は偶然の結び付きからそこに関わることになった。

 

◆大先生の就活秘話

 年の瀬に衆院選挙などが入ったこともあり、街中は何となく慌しさを感じる風情になっている。そんな中、編集長と女性記者が「寒いですねー」などと言いながら、大先生事務所を訪れた。恒例の物流昔話を語り合う会合だ。

「師走と言いますけど、やっぱり先生も走り回ってますか?」

 編集長の何気ない問い掛けに、大先生が「なに? 質問の意図が分からん」と突き放すように答える。女性記者が呆れた顔で編集長を睨む。二人の様子を見て、編集長が慌てて質問を変える。これも意味不明の質問だ。

「えーとですね、今日は、物流のターニングポイントだったって言われる昭和45年、えーと、西暦ですと1970年ですけど、この年については先生も注目されていますが‥‥、あっ、そうそう、先生はもうこの頃は物流の世界にいらしたんですよね?」

「いない。まだ学校にいた」

「えっ、でも、年齢的には、もう社会人だったんじゃ‥‥」

「まだ学校にいたんだからしょうがないだろ。何か文句あんの?」

 大先生のいちゃもんに編集長が身を引く。

 思えば、昭和四五年という年は大先生にとっても転機になった年だ。翌年に大学院の修了を控え、人並みに就職活動をした年だった。会計学専攻ということもあり、指導教授の紹介で、ある外資系の会計事務所を受けることになった。ここで起こった事件が、会計の道から物流の道への転換をもたらしたのだった。

 その会計事務所の入社試験は、午前中に会計学や英語の筆記試験、午後に面接試験となっていた。午前中の筆記試験を軽くこなした大先生は、社員との懇親を兼ねた昼食会に臨んだ。いくつかのグループに分かれて、和気藹々とやっていると、そこにいた日本人の社員が驚くべきことを言い出した。

 なんと、この事務所では外資系ということもあって、日本人といえども英語の名前を付けて呼び合うというのだ。ちなみに自分はチャーリーですなどとしゃーしゃーと言う。それを聞いた途端、大先生は吐き気をもよおし、一目散に逃げ出した。

 後日、試験に落ちたことを指導教授に告げると、「自分の紹介なのに落とすとは解せない」としきりに首を傾げて、確認しましょうと言って電話しようとする教授を必死に止める大先生だった。しばらくして、改めて教授が紹介してくれたのが某大手物流業者の研究所だった。

 もう指導教授の面子をつぶすわけにはいかないということで、大先生は素直にその会社への就職を決めた。大先生が物流の世界に入ったのはそんな他愛もないいきさつだった。

「あのー、済みません。それで先生がこの年に注目しているのはなぜなんでしょうか?」

 ぼーっとしているような顔の大先生に編集長が恐る恐るといった感じで声を掛けた。

「ん? あー、この年におれの就職が決まったからさ」

「あっ、はいはい、あの研究所ですね。なるほど、そういうことですか? 結構、個人的な理由なんですね」

 編集長が妙な受け答えをする。それに女性記者が輪を掛けた。

「えっ、先生も就活なんかしたんですか? なんか似合わないですね」

 編集長が女性記者の頭をぶつ真似をして、慌てて話題を変える。

「先生の就職以外に、この年は何か注目すべき動きがあったんですか?」

「もちろんあった。物流二団体が設立された」

 ようやく本論に入ったようだ。

 

◆物流二団体の設立

 編集長が待ってましたとばかりに、メモを取り出す。

「やっぱり、それですね。実は調べてきました。1970年の10月に『日本物的流通協会』が、そして11月に『日本物流管理協議会』が発足しています。相次いで設立されたんですね。そうそう、物流管理協議会の方は、設立総会と同時に『第一回物的流通全国会議』というものを開催しています」

 大先生が頷き、思い出すように話す。

「それそれ、実は、おれはその会議の受付をやっていた。会議が始まったら、その後は会場で話を聞いていいという条件でバイトをした。指導教授のお膳立て」

「へー、先生が受付っていうのも絵になりませんが、なんか指導教授という方におんぶに抱っこって感じですね」

 女性記者が、率直な感想を述べる。それまで黙って様子を見ていた弟子たちが大きく頷き、「ほんとですね」と同意を示す。大先生も「言われてみればたしかに」と頷く。妙な展開になり、編集長が「それはいいとしてですね」と話題を戻す。

「この両団体ですが、一方は物的流通という言葉を使っているのに、もう一つの方は物流管理という言葉を使っています。混在して使われているのはいいとして、物流管理協議会の全国会議の名称が物的流通というのはなんか変じゃないですか?」

 編集長の指摘に「そういえばそうですね」と女性記者と弟子たちがつぶやき、大先生を見る。

「それは簡単な話だよ。民間では、物流という言葉はすでに使われ始めていたけど、官庁ではまだ物的流通という言葉しか使われていなかった、からじゃないかな」

 大先生の当てずっぽうな説明に編集長が「なるほど、官庁への配慮ですか」と頷く。年表のようなものを見ていた美人弟子が、にこっと笑って、編集長を見る。編集長が「何かありました?」と怪訝そうな顔で聞く。

「その翌年、71年ですが、6月に、今度は物的流通協会が日本能率協会などと共催で総合会議というものを開いています。その会議の名称が、『第一回物流管理総合会議』となっています」

「へー、物的流通協会の方は物流管理がテーマですか。はー、お互いに配慮し合ったってことだ、これは。ねっ、先生?」

「さー、そこまでは知らん。そうそう、いま能率協会という名前が出たけど、物的流通協会は日本能率協会が、また物流管理協議会は日本生産性本部が母体になっている」

 編集長が頷き、メモを見ながら指摘する。

「母体が違うわけですから仕方ないのでしょうけど、当時の新聞記事によると、二つの団体が相次いで設立されたことに戸惑いと期待という両面の反応があったようですね」

 大先生が頷いて、続ける。

「それぞれの目的や事業内容は物流近代化という点で一致していたし、早いうちに合同すべきだという声があったことはたしかだ。ただ半面、二つあることで、お互いが切磋琢磨して、物流の発展に貢献したという面も間違いなくある。まあ、総合的に見れば、二つの団体が競ったことはいいことだったと思う」

「でも、同じような団体が二つもできると、どっちに入ればいいのかと、迷ったでしょうね、当時の物流担当者は」

 編集長が素朴な質問を大先生にする。

「迷った結果、両方に入った人も多かったんじゃないかな」

「ところで、先生は、当然、両方と付き合っていたんでしょ?」

「そう、おれだけじゃなく、講師をやるような人はほとんどが掛け持ちだった。そうそう、研究所に入社して3年後に物的流通協会で講演をした。それがおれの初めての講演‥‥」

「へー、テーマは何だったんですか?」

「物流コスト管理の実態と課題みたいなテーマだった」

「もしかして、それも‥‥」

「そう、指導教授のお膳立て」

「やっぱり‥‥」

 女性記者が何か言おうとするのを編集長が慌てて口を押えるようにして止め、話題を変える質問をする。今日は編集長は忙しい。

「いずれにしても、二つの団体の発足は、物流への関心の高まりを背景にしたもので、このことは、物流というものが企業内で管理領域として認知され始めた証しと言っていいんでしょうね」

「そう、その意味で、おれはこの年を『物流管理元年』と呼んだ」

「なるほど、そういう意味だったんだ。先生が物流の世界に入ったからってことではないんですね」

 そう言って、編集長が一人で大笑いする。そんな編集長を呆れた顔で見ていた女性記者が思い出したように聞く。

「ということは、いまあるJILS、えーと日本ロジスティクスシステム協会というのは、それらが一緒になった団体ということですか?」

 そういうこと。それら二つの団体が92年に統合されて、現在のJILSとなったわけ。その経緯についてはまたの機会にしよう。いろいろあるから・・・」

 

◆暗中模索の新設物流部門

「物流が管理領域として認知されたっていう話がさっき出ましたが、現象的には、というか、具体的には、物流を管理する部門が相次いで設立されたってことですか?」

 編集長の質問に大先生が「冴えてるー」と言って、拍手する真似をする。体力弟子が頷いて、言葉を挟む。

「物流関係の新聞や雑誌によると、たしかに次々と物流という名の部署が作られています。ただ、その陣容や中身は色々のようです。暗中模索というところでしょうか」

「そうでしょうね。黎明期の特徴かな。あっ、特に物流だからってこともあるんでしょうか?」

 編集長の言葉に大先生が右手の親指を立て、「さすが!」と言う。

「編集長はいいとこ突いてる。物流だからこその暗中模索があったことは間違いない」

「そう言えば、物流に関する部署がよく変わる企業がありますが、あれって模索の結果なんでしょうか?」

 編集長の問い掛けに大先生が「鋭い質問だ」とまた褒める。編集長が「先生、顔が笑ってますよ」と文句ありげに言う。大先生が苦笑しながら、説明する。

 暗中模索と模索とを使い分けたのかなと思ってさ。ところで、その、組織がよく変わる企業ほど管理が進んでいると言っていい。より高いレベルを目指して、望ましい組織形態を、それこそ模索した結果さ」

「なるほど、そういうことですか。ということは、組織的にあまり変化のない企業はだめだってことですね?」

「そう単純には言い切れないけど、その傾向は否定できない」

「あのー、ちょっとお話が見えないんですけど、説明していただけますか・・・」

 二人のやり取りに女性記者が口を挟んだ。大先生が頷く。

「要するに、物流という活動は毎日行われている。それに責任を持つ部署もある。当然、そういう部署は前からあった。ところが、新設された部署は、これとは違って、物流コストの削減を担う部署ってこと・・・」

 大先生の話の途中で「説明の必要はないかもしれないけど、敢えて説明すれば」などと回りくどいことを言って、編集長が割り込む。

「それまで物流活動を行っていた部署は、効率だとかコスト削減だとかとは無縁だった。そういう中でコスト削減を狙う部署が誕生したわけで、さて、既存の部署とどう関係付けるかが大きなテーマだった。そういうことですよね?」

「うん、ポイントを突いている。大したもんだ、今日の編集長は」

 大先生の言葉に編集長が「またまた、構うのはいい加減にしてください」と口を尖らせる。

「後から振り返ると、活動を行う部署に管理部隊をくっつけて物流部などとした形態はだめだったな。もっともらしい形ではあったけど、コスト削減という目的が希薄になってしまった。いつの間にか、物流部全体が、日々の活動に追われることになり、コスト削減など誰も考えなくなった。そして、上からコストを減らせと言われると、運賃や倉庫料金を叩くなどといった無策のことしかできなくなってしまった情けない物流部が少なくない」

「あっ、先生、結構怒ってますね。そう言えば、『物流部の存在が物流を遅らせている根本原因で、物流部を無くせば、物流は正しい姿になる』という主張を思い出しました。これは、もちろん、先生のお言葉ですけど、いまの先生のお話は、この見解と関係するんじゃないですか?」

「そんなこと、おれ言ったっけ? 記憶にない。ただ、その指摘は言い得て妙だ。もっとも、それは組織論の話ではなくて、組織人の話だ」

「へー、組織論ではなく組織人の話だというのは興味深いです。是非、詳しく聞かせてください」

 女性記者が身を乗り出して大先生に頼む。大先生が頷き、「組織の話は長くなるから、その前にコーヒーブレイクにしよう」と言って、弟子たちを見る。弟子たちが頷いて立ち上がる。

 

11回 物流改革における最大の課題

オイルショックを機に日本経済は重厚長大から軽薄短小へと産業の重心を移していく。この時期に日本企業は物流組織の在り方を本格的に検討し始める。新しい経営管理の概念と機能を組織の中にどう位置付け、それをどう根付かせるか。乗り越えなければならない課題は山積していた。

 

◆重厚長大から軽薄短小へ

 編集長がコーヒーを片手に自分の取材ノートを繰っている。あるページで手が止まり、それをざっと見て、おもむろに大先生に話し掛ける。

「雑談ということで聞いてください。私なりにちょっと調べてみたんですが、いま話し合っている1970年代というのは、日本経済の動きという点で非常に面白い時代ですね」

 何を言い出すのかという顔で、大先生が中途半端に頷く。隣に座っている女性記者が、ちょっと訝しそうな顔で編集長を見る。編集長がその女性記者に向かって聞く。

72年に田中角栄という人が総理になったんだけど、知ってる?」

「はい、名前だけは・・・」

「その人が政策として掲げて推し進めたのが『日本列島改造論』なんだけど、聞いたことあるだろ?」

「聞いたことはありますが、詳しい内容は知りません。どういうものなんですか?」

 女性記者が素直に聞く。

「まあ、簡単に言うと、産業集積の地方分散政策ってとこかな。昔、四大工業地帯というのを習ったことがあると思うけど、わが国では、工業地帯は、ほとんどが太平洋沿岸に集中している。それを地方に分散させていこうという話さ。そして、高速道路と新幹線を整備して、それら各地の工業拠点間を結ぼうという構想で、大胆な政策だった」

 大先生が頷いて、続ける。

「田中首相が地方出身で、地方の活性化が政治家としての柱だったってことも背景にあると思う。それはともかくとして、大規模な公共事業が展開され、景気が過熱状態に陥ったことは確かだ」

「そうなんです。そのようにして高度経済成長がピークに達したときに、あのオイルショックに襲われたわけです」

 編集長がそう言って弟子たちを見る。美人弟子が頷いて応じる。

703年の秋ですね。第一次石油危機が起こったのが・・・」

「ご存じなんですか、あの混乱を? あっ、子供心に・・・」

 編集長が弟子たちを見て、聞く。二人は返事をしない。それを見て、女性記者が「実体験として経験されたのは先生と編集長だけですよ」と断じる。頷く弟子たちに編集長が「失礼」と小首を傾げながら言う。気を取り直すように、編集長が続ける。

「まあ、石油危機そのものは置いておくとして、要するに、その結果、日本経済は大打撃を受け、一気に不況に陥ってしまった。ジェットコースターさながらですね。そして、これまでとは違った産業構造が作られていく。いわゆる重厚長大型から軽薄短小型への転換です」

「そのケイハクなんとかというのはどういう字を書くんですか?」

 女性記者の問いに編集長が紙に書いて見せる。女性記者が「へー」と感心したように言い、「なんか語感として良くないですね」と呟く。大先生が頷いて答える。

「たしかに、それは言える。ただ、その意味するところは重要で、日本企業の真骨頂がそこにある気がする」

「そうです、私もそう思います。軽薄短小こそ日本企業の技術力がもろに反映される世界だと思います」

 編集長の言葉に頷きながら、女性記者が「具体的にどういう意味をもつ言葉なのですか?」と聞く。

 

新しい酒は新しい革袋に

 体力弟子が「前にちょっと調べたことがあるんですが」と言って、説明する。

「かつて『鉄は国家なり』などと言われたように、高度成長期を引っ張ったのは、石油を大量に使用する鉄鋼や造船、石油化学などの重化学工業だったんですね。これらを重厚長大型の産業と言うようです。軽薄短小というのは、この対語です。特徴は石油をあまり使わないという点です」

 体力弟子の説明に女性記者が「なるほど、そういうことですか」と大きく頷く。体力弟子が続ける。

「つまり、石油危機を受け、石油をあまり使わなくて済む産業への転換が進められたんですね。それが、家電や自動車、コンピューターといった加工組立中心型の産業です。これらの産業を重厚長大に対応させる形で軽薄短小と呼んだようです」

「よく分かりました。語感の悪さは否めませんが、日本の技術力とか日本企業の真骨頂が発揮される場ということは分かりました。それで、編集長、それがどう関係するんですか? 物流と・・・」

 女性記者が編集長を問い詰める。

「いや、まあ、そのように70年代の日本経済は面白い展開が見られるので、それに伴って物流もきっと面白いことがいろいろ起ったろうなということで繋がるわけさ。それに物流の話は背景にある経済や企業の動きを知っておかなくてはいけないし・・・」

 編集長の言葉に女性記者は納得していない顔をするが、突然、大先生に質問する。

「ところで、そのような時代に物流はどんな動きをしたんでしょうか? とくに、休憩前にお話のあった物流の組織はどうだったんでしょうか?」

 大先生が頷き、話し始める。

「それじゃあ、本題に入ることにしようか。まず、物流組織だけど、それって、そもそも何のために存在する?」

 大先生に突然問われて、女性記者が「えーと、それはですね」とちょっと間を置き、「間違ってるかもしれませんが」などと前置きをして話し出す。

「当然、組織ですから、目指すべき目的があるわけですよね。物流の場合、物流のサービスを良くするとかコストを下げるとか。それをするためには企業組織の中にどのような部門をどう位置付けるのが良いかということがテーマになったのではないでしょうか?」

「まあ、そういうことだな」

 女性記者の言葉に編集長が頷き、続ける。

「ただ、当時は、物流が企業の中の新参者だったがゆえに試行錯誤が続けられたってことだな。こうあるべきだといった答えは出なかったんですよね?」

 編集長が大先生に質問する。

「答えは出なかったというか、もともと、組織には、これがいいといった答えはない。それは物流に限らず、時代も問わず同じ。要するに、こうしたいということを実現するに当たって、最も効果が出やすい体制を模索し続けるということ。現に、多くの企業の組織は変化し続けている。物流の組織も同じ」

「休憩前に、先生は、物流を行っている部門にコスト削減など新たな役割を持った部署を付け足して物流部などとしたところはうまくいかなかったとおっしゃってましたが、それは、既存業務に毒されて、新たな役割が希薄になってしまうからということなのでしょうか?」

 大先生が編集長の質問に頷く。

「毒されたわけではないだろうけど、日々行われている物流活動においては、いろんな問題が発生する。それが、いちいち物流部長に挙げられたら、その対応に追われて、物流の仕組みを作り直すという仕事などできはしない。結果として、日々の物流運営を管理する部署になってしまう」

「ということは、物流の仕組みを作るとかコストを削減するという新たな業務を担う部署は、物流を運営する部署とは別に設置しろということですか?」

「そのとおり。さすが編集長だ」

 編集長の意見に大先生が大仰に同意を示す。編集長が嫌そうな顔をして「論理的な帰結を言っただけです」と言う。

「そう、その論理的帰結っていうのが重要なんだ。やっぱり『新しい酒は新しい革袋に』と言うけど、これまであった部門に新しい役割を持たせても、そして、いくら部門の位置付けを格上げしたとしても、これまでの仕事に染まってしまう。それでは、他部門の連中もこれまでの延長線上でしか見ない。だから、既存業務とくっ付けて新たな取り組みをやろうなどというのは本来的にうまく行くはずがない」

 

◆ハイブリッド型チーム編成

 二人のやり取りを聞いていた美人弟子が言葉を挟む。

「ここに『流通設計』という雑誌があります。70年の秋に創刊されたものですが、当時物流を担当されていた方々の座談会があったりして、興味深い内容が多くあります。その中で、組織について『日常の運営は既存のライン部隊にやらせて、改善などはまったく別のところでやった方がいい』という意見が出され、出席者のほとんどがその考えに賛同しています。形としては委員会制やプロジェクトチーム制などが推奨されてますね」

 編集長が大きく頷き、なぜか親指を立てる。

「それは、うちの雑誌の大先輩です。なるほど、やはり、そういう考えですか。たしかに、物流部などといった部門内で何かやろうとしても、物流の場合、その中では手に負えない課題がたくさん出てきますしね。部のレベルを超えた取り組みを迫られるのが物流なんだから、多様な人材を集めた特別編成にするというのは、これまた論理的帰結ですね」

「さすが、編集長は言うことが一味違う」

 大先生の言葉に編集長が、今度は満更でもないような顔をする。自分でもいい指摘をしたと思っているようだ。そんな編集長の顔を見ながら、女性記者が誰にともなく聞く。

「そうなると、目的がある程度達成できたら、そのチームのようなものは解散してしまうということですね。作られた仕組みの運営をライン部隊が引き受けるということでしょうから、運営状況を評価する指標のようなものも必要になりますね?」

「そういうことになる。でも、実は、組織については大きな課題が一つ残っている・・・」

女性記者の質問に答えて、編集長が思わせ振りに呟く。女性記者が確認するように聞く。

「それって、当時の物流ならではの課題ですね?」

 編集長が頷きながら、女性記者の顔に人差し指を向けて振る。女性記者が「はいはい、本命が来ましたねー」と言って、頷く。

「二人で何遊んでんの? トップを始めとする社内の物流への関心度、認識度について言ってるわけ?」

「あっ、さすが先生ですね。鋭い」

 編集長がここぞとばかり仕返しをする。大先生が「あんたに褒められても嬉しくないよ」と言って、続ける。

「たしかに、当時、物流に取り組むに当たっての最大の課題は、社内、中でも経営トップの物流への関心度だった」

 

◆物流改革の最高のシナリオ

「でも、物流を何とかしようと思って部門を設けたんでしょうから、関心や理解はあったんじゃないでしょうか?」

 編集長が大先生に聞く。

「まあ、本気で物流を何とかしようと思った経営者ももちろんいただろうけど、隣もやってるからという便乗組の会社も少なくなかったと思う。そういう便乗組では、物流部門は作ったけど、あとは知らんという経営者もいたようだ。そのくせ、コスト削減は要求する」

「なるほど、そういう会社では特別編成のチームを組むなんてこともできないだろうし、与えられた部門の中で何とかやるしかなかったってことですね」

 大先生が頷く。

「そう、これは物流に限らず、企業組織の宿命だな。たとえば、ある分野にいくら優秀な人がいても、その分野に経営者が関心を持たなかったら、何も始まらない。その優秀な人は、まず経営者の関心を引くという仕事に時間を取られてしまう。それなら、逆の方がよっぽどいい」

「逆というと、ある分野に経営者が関心を持っているけど、そこには優秀な人がいないというケースですか?」

「そう、経営者が関心を持っていれば、あれはどうなった、ちゃんとやっているかって発破を掛けるだろ。そうすれば、やらざるを得ないから、確実に進んでいくし、それに伴って人も育っていく」

 編集長が大きく頷く。

「なるほど、経営者が関心を持った分野に優秀な人材がいれば、最高ってことですね」

「本来、経営者が物流を何とかしたいと本気で思えば、そこに優秀な人材を持ってくるものだ。そういう企業も少なからずあった。『なんで、あんな優秀な人が物流なんかに』って思われた人事が話題になったケースは結構ある。そこで、社長が物流重視を宣言すれば、その人事と相俟って社内の物流への見方が一変する。そして、特別編成の組織を登場させればいいのさ。これが最高のシナリオだな」

 編集長が「たしかに、そうですね」と言って、何か思い出したように、また取材ノートを繰っている。外は大分暗くなってきたが、まだお開きにはなりそうもない。

 

12回 物流コストの大きさを知る

今からおよそ40年前、旧通産省の産業構造審議会に設置された「物流小委員会」でトータル物流コストの実態調査が行われた。その結果には誰もが目を見張った。それまで支払い運賃や保管費として把握されていたコストとは桁違いに大きな金額がそこに示されていた。事実を知らされた経営陣は大きな衝撃を受けた。

 

◆先人たちの座談会

 編集長が、ノートを繰る手を止めて、「おかしいな。見つからない」などと呟く。それを見て、女性記者が「何を探しているんですか?」と聞く。編集長が、悔しそうな顔で答える。

「当時の物流関係の部署名をメモしておいたんだけど、見つからない」

 それを聞いて、美人弟子がコピーした資料を差し出す。

「一応、ここに部署名は列挙してあります。物流管理室、物流管理部、物流部、輸送部、業務部流通管理課など名称はいろいろですが、特徴は、本社組織に新設されたということだと思います。実際の物流業務は、各地の営業拠点や工場にある業務課や運輸課、倉庫課といったところが行っていたようです」

「となると、それらの新設部署は、物流コスト削減などを主として担っていたということですね?」

 編集長の問い掛けに大先生が頷く。

「一応、部という位置付けになっているけど、多くが、少人数だった。中には、部長とスタッフ数名というところも珍しくなかった」

 大先生の言葉に編集長が納得したような顔で感想を述べる。

「なるほど、時代の風潮として物流が関心を呼んでいるから、とにかく物流部門を設置しておこうという感覚ですかね?」

「まあ、そういうところもあったと思うけど、経営者の思いとは別に、物流の担当を命じられた人たちは、物流に対して熱い思いを持っていたと思う。もちろん、全員とは言わないけど、少なからぬ人たちが熱心に物流に取り組んだようだ」

「当然、物流コストの削減に取り組んだと思うんですが、物流コストについてはどういう認識だったんでしょうか? 運賃や倉庫料などの支払額しか掴めていなかったと思うんですが‥‥」

 編集長が、素朴な疑問を呈する。大先生が「うん、いい質問だ」と編集長を持ち上げる。美人弟子が苦笑しながら、手元の資料を取り出す。

「それについては、ここに興味深い話があります。物流を担当されていた方々の熱意を感じます」

 コピーされた資料を手に取り、編集長が「へー、座談会の記事ですね」と興味深そうな顔をする。美人弟子が説明する。

「はい、例の『流通設計』の19713月号に掲載されたものです。登場されているのは、学習研究社常務の小林幾蔵氏、サッポロビール関連事業部長の井上芳枝氏、三菱電機物流推進本部の北沢博氏、資生堂企画部管理課長の淵野剛氏の4人です」

 「へー、当時の先進的な物流担当者たちですね、きっと。あっ、私の記憶では、確か先生は、三菱の北沢さんとは特に懇意になさってたんじゃないですか?」

 編集長の質問に大先生が頷く。

「その人たちとは、当然付き合いがあった。特に、北沢さんとは、折に触れて話をする機会があった。どちらかというと、ご指導いただいたという関係だ」

「そのお話も是非お聞きしたいですけど、それは改めてということで、この座談会ではどんな話が展開されているんですか? あれ、この表は何ですか、物流コスト表(別添資料)ですね?」

 

◆当時の物流コスト実態

 編集長が記事の中から表を見つけて、興味深そうな声を出す。美人弟子が解説する。

「それは、井上さんが示された表で、例の産業構造審議会流通部会の中に設けられた物流小委員会というところで、当時の通産省の諮問を受けて、一年掛けて物流コストの算出をやった結果だそうです」

 編集長が「へー」と言いながら、表を眺めている。頷きながら、おもむろに感想を述べる。

「これは、大したもんだ。支払額だけでなく、自社で掛かっているコストも入ってますね。売上高に対する比率も高いし、販管費の3割から6割が物流コストだということか・・・」

 体力弟子が続ける。

「その数字を見ると、物流コストというものが、経営的に大きな存在だということが分かります。座談会の中でもたびたび指摘されていますが、社内的には物流コストというと運賃や保管料の支払額程度の認識しかなかったため、物流コストを算出して経営陣に示すと大変驚かれたようです」

 編集長が「そうでしょうね」と頷く。美人弟子が続ける。

「この記事の中に面白い話が紹介されています。井上さんが算出した物流コストを見て、社長が『これは桁が違うんじゃないか』と問い掛けられたそうです。それまで支払運賃だけを見てきた感覚からすると、そんな感じだったようです」

 体力弟子が続ける。

「三菱電機の北沢さんもこんなことを言ってます。『70年当時、家電や量産品の物流コストが年間で200億円、やはりびっくりしますね。200億円をどう本気になって管理しているかと言われると、かなり心もとないわけです』と。そして、『びっくりしたときに、初めてマネジメントが出てくるんじゃないですか』とおっしゃっています」

 その言葉を聞き、編集長が大きく頷く。

「なるほど、確かにそうですね。当時、物流の管理に当たって物流コスト算定が主要なテーマになったというのも分かるな。コストの大きさを見て、トップから管理領域として認められたということなんだ」

「そう、財務会計上で容易に把握できるのは、外部委託業者への支払額だけだから、その程度なら物流などたかが知れていると見られてきたことは間違いない。その認識を打破するにはコストの真の大きさを示すことが有効だったというのが当時の実情だったと言っていい」

 大先生の言葉に、それまで黙って話を聞いていた女性記者が質問する。

「いまは、物流コストは、当然小さい方がいいはずですが、当時は、大きいほどいいって感じだったんですね。大きいほどインパクトがあったってことですか。びっくりした時にマネジメントが登場するという言葉はすっごく面白いです」

 

◆「1キログラム当たり売値」を調べろ

 女性記者の言葉を受けて、体力弟子が楽しそうな顔で別の話題を提供する。

「面白いといえば、メーカーは1キログラム当たりの売値を調べてみるべきだという指摘も面白いと思います」

 編集長が小首を傾げながら聞く。

1キログラム当たり売値ですか? それと物流コストを比べるわけですか?」

「物流コストと比べるというよりも、それで物流コストの負担力を判断しろということのようです。たとえば、ビールは酒税を外せば1キログラム当たり40円くらいで、化粧品なら200円を超えるだろうと言ってます。この数字が低いところほど物流に熱心に取り組めという主張です」

「なるほど。でも、それなら、トラック一台に積める製品の販売額でも分かりますよね?」

 編集長が自分の考えを言う。体力弟子が頷いて、続ける。

「そうなんですが、例えば値引きが横行すると、昨年と同じ売上でも、量は増えていますから、物流コストは高くなります。その場合でも、1キログラム当たり売値を出せば、物流が悪いわけではないということが分かるというようなご意見もあります」

「なるほど、やっぱり、これは先生がしょっちゅう指摘されてますが、物流コストの責任帰属の明確化ということに関連するんですね。当然ですけど、物流事始の時代から、それは重要なテーマだったってことだ。まず、物流コストを漏れなく把握する、次に物流コストの責任帰属を明確にするというのが、物流コスト管理の王道ってことですね?」

 編集長の言葉に美人弟子が違った見方を披露する。

「座談会では、もう一歩踏み込んで、経営戦略に資する物流コストという指摘もあります。そこでは、りんごを例に出しているんですが、たとえば、りんごを東京で売ろうとした場合、一般品種では物流コストを考えると採算が取れない。そこで、東京進出のために物流コストを十分負担し得るような高級品種への転換が図られたという話です。分かりやすく、りんごを例に出していますが、示唆に富んだお話のように思えます」

「なーるほど、分かります。逆に言うと、物流コストを低く抑えられれば、それだけ取り得る戦略の幅が広がるということでもあるんだ。たしかに、そうだな。うん、物流はやっぱり重要だ‥‥」

 独り言のような編集長の言葉に大先生が苦笑する。

「それと、取引条件との関係でも物流コストは大きな役割を果たしていた。物流コストを低くできる取引条件には割引をするというルールが当時からあったんじゃないかな」

 大先生の言葉に体力弟子が頷いて、関連する話題を出す。

「これは、北沢さんですが、商取引の大ロットがそのまま物流に反映するようなロット取引は、やはり安くしていいと思うと指摘しています。ただ、その後に、『ところが、契約は大ロットでも納品はバラバラの単位の取引をロット取引と勘違いされている場合が時々ある。そのへんにも、物流コスト認識の甘さがある』とおっしゃってます」

「はーん、そういうようなのはいまでもありますね。まあ、その話に限らず、物流コストについて正しい認識をしていないと、ビジネスにおいて大きなロスを生み出してしまうってことだ、うん」

 編集長が一人悦に入っている。大先生が、「さすが編集長だ、いい指摘だ」と褒める。編集長は「またまた」と言いながら、満更でもなさそうな顔をする。そんな編集長を見て、女性記者が突然編集長に問い掛ける。

「でも、お話をお聞きしていると、今も40年前も変わらないという感じが無きにしも非ずですね。どうですか?」

「うーん、そう言えないこともないな。たしかに、そういう感じがする‥‥」

 

◆失われた40

 女性記者と編集長のやり取りを見ていた美人弟子が何か思い出したように頷いて話し出す。

「そう言えば、最近あるメーカーで、在庫配置に関して、支店や営業所管轄の在庫は多い方がいい、多ければ営業担当に売る圧力を掛けられるからという話を聞いたのですが、これについて、当時の座談会で答えが出されていました」

 美人弟子の発言に編集長が興味を示す。

「答えって、どういう答えですか?」

「在庫で営業に圧力を掛けるということは、その座談会の頃からあったようなんですが、北沢さんのところで、それは間違いだという証明をしたそうです」

「へー、証明ですか‥‥なんか実験でもしたんですか?」

「実験ではないんでしょうが、東京を半分に分けて実証したそうです。発言内容を要約して読みますね。『私どもでは東京を半分に区切りまして、南半分は販売会社の倉庫に物を全部運び込んでいるんですが、北半分は共同倉庫を使ってます。つまり、南半分の販売会社には在庫という物理的圧力が掛かりますが、北半分は共同倉庫ですから物理的圧力は掛からないんです。それで、どっちの方が売り上げが伸びたかと言ったら、有意差はちっともないんです』ということです」

「へー、それは驚いた。販社倉庫と共同倉庫という物流の違いから実証できたってわけですね。そうなると、さっきのメーカーは『失われた40年』ということになってしまう」

「失われた40年か‥‥すごい話になってきた。その続きは場所を替えてやろう」

 大先生の言葉にみんなが頷いて、待ってましたとばかりに一斉に立ち上がった。

 

 

(資料)物流コストの実態(1970年当時)

物的流通コストの構成割合

物的流通コストの比率

包装

荷役

輸送

保管

情報

合計

対売上高

対総原価

対販管費

ビール

42.5

4.6

44.4

7.5

1.0

100

16.5

18.8

47.9

石けん・洗剤

52.2

4.8

37.1

3.4

2.5

100

12.0

13.1

38.9

出版物

27.3

17.7

45.9

6.6

2.5

100

4.3

4.5

63.2

紙(ライナー紙)

2.5

20.1

61.8

15.2

0.4

100

9.7

11.5

58.6

衛生陶器

21.7

3.3

59.9

3.4

11.7

100

7.9

9.3

31.9

電気洗濯機

52.6

1.5

38.9

4.0

3.0

100

10.4

12.0

30.7

ミシン

11.6

3.0

73.6

11.0

0.8

100

5.0

6.0

12.2

尿素

43.0

10.2

35.7

9.5

1.6

100

11.6

13.5

49.9

冷延鋼板

35.9

15.3

36.5

9.8

2.5

100

-

-

-

(注) ビールは酒税抜き

品目により算定範囲は同様ではない

(出所)『流通設計』713月号119P(輸送経済新聞社)

 

 

13回 保管倉庫から流通倉庫への転換

物流概念の登場は、荷主企業だけでなく、運送業者や倉庫業者にも大きな影響をもたらした。とりわけ倉庫業には、従来の保管機能に加え、在庫管理、仕分け、流通加工、配送、情報提供といった諸機能まで提供する流通倉庫への対応が求められた。既存の倉庫業者にとっては大きな飛躍のチャンスだった。

 

◆倉庫業に何が起きたか

「まいどー。お邪魔しまーす」

 いつもの調子で編集長が事務所に顔を出した。女性記者が「お世話になります」と続く。

「いやー、上野公園に寄ってから来たんですが、花吹雪がすごかったですよ」

 編集長が大先生に声を掛ける。大先生がうなずいて答える。

「そうだろうな。うちは数日前に花見に行ってきた。花もすごかったけど、人もすごかった」

 ひとしきり桜談義を交わしたあと、編集長がおもむろに切り出した。

「これまで、主に、荷主企業を中心にお話をうかがってきましたけど、このあたりで物流業者側の動きも取り上げたいなと思いますが、いかがでしょうか?」

「うん、いいよ」

 大先生がどうでもいい感じでうなずく。それを見て、編集長が意味ありげに呟く。

「先生は、そのころの物流業者に苦言を呈したいんですよね?」

 編集長の言葉に女性記者が興味深そうな顔で、大先生に「そうなんですか?」と聞く。

「何それ? 別に苦言なんかないよ。いまさらのことだし・・・それはそうと、物流業者といっても、運輸業もあれば、倉庫業もある。どっちをまず取り上げる?」

 大先生の質問に編集長が即答する。

「倉庫業にしたいと思います。どっちかというと、質的変化という点では倉庫業の方が大きかったように思いますので・・・」

 大先生が小首を傾げるが、それに構わず、編集長が話を続ける。

「改めて言うまでもないかもしれませんが、1960年代に入ってから、いま話題にしている70年くらいまでの間に倉庫業も大きな変革の波に襲われたことは確かだと思います。少なくとも、単に荷主から荷物を預かって保管していればいいという状況ではもはやなかったはずです」

「それはそうだ。別に倉庫業者に限らず、物流に関係する人はみんな、大きな変革の波に襲われた。その変化の様を、なんと、わざわざ『運輸白書』が解説している。えーと、これだ」

 大先生がファイルの中から、コピーを取り出す。

「これは、昭和45年度の白書なんだけど、ちょっと、ここを読んでみて」

 そう言って、大先生がコピーした資料を女性記者に渡す。女性記者が、興味深そうな顔で資料を見る。

「あっ、物的流通という言葉を使ってます。やっぱり役所ですね。それはいいとして、えーと、読みますね」

「早く読めよ」

 編集長の催促に口を尖らせた女性記者が、一呼吸置いて読み始める。

「物的流通コストの節減と輸送の円滑化を目的とする物的流通改善の方向は、倉庫業に対し、従来の保管倉庫としての任務に加えて、在庫管理、輸送、流通加工、情報提供等の機能を備えた流通倉庫への質的変革を要請しつつある」

「なるほど、お馴染みの流通倉庫への転換だ」

 編集長が口を挟む。女性記者がじろっと編集長を見て、続ける。

「すなわち、物的流通機構の合理化、近代化の要請は、倉庫業を流通過程のなかでの単なる保管の役割から、常時正確な在庫量を把握し、需要者に対する迅速、確実なる商品の配送を行なうとともに商品の流通にともなう仕訳、梱包、軽度の加工および荷主メーカーに対する適確な情報の提供などその活動範囲を拡大化する傾向にある」

 ここまで読んで、女性記者が「堅苦しいというか難しいです」と言って、一息つく。編集長が「どれどれ」と、女性記者が持つ資料を取り上げ、読み直す。

「要するに、ドンと入ったものをドンと出すということではなくて、いまでは当たり前な物流センター業務に業務範囲を拡大しつつあるということだ。これは、当時にしては大きな変革だったでしょうね?」

 

◆業務請負に甘んじてしまった

 編集長の感想に大先生が小さくうなずき、話し出す。

「でも、そういう変化は、その白書よりずっと前の1960年代に入ってから起こっている。その頃、ある業界紙の座談会で、スピーカーである倉庫業の人が『とにかく倉庫に入ってきたものを方面別に仕分けして包装する。そして配送までやっている状態ですから倉庫業もずいぶん進歩したもんだと今更ながら感じている次第なんです』などと言っている。それを受けて別の物流業の人が『昔は輸送業者が倉庫間を担当していたんですが、最近は倉庫業者が輸送をやっているという感が強いです』と応じている。まあ、当事者が言ってるんだから、間違いなく、倉庫の役割が変わってきているということだ」

「ここで先生は苦言があるんですよね?」

 編集長がまた「苦言」を持ち出し、茶化すように大先生に水を向ける。

「だから、いまさらのことだから、そんな話はいいんじゃない? でも、なんで、編集長は、その苦言とやらにこだわるの? どこかで、そんな話ししたっけ?」

「前に、一緒に飲んだ時に、その話でお怒りでしたよ。私は、それで悪酔いしてしまいました」

 二人の話に興味を持った女性記者が、つい口を挟む。

「えー、何なんですか? 気になります。お話し聞かせてください」

 大先生が何も言わないので、女性記者が編集長を見る。結局、編集長が話し出す。

「えーと、どういう話かというと、そのころの、つまり西暦でいうと60年代後半頃の物流業者の対応が日本の物流をおかしくしたというのが先生の苦言というか嘆きなんだ‥‥」

「へー、どういうことなんですか?」

 女性記者の素朴な質問に大先生がようやく身を乗り出した。

「まあ、いまさらの話で、いまとなっては意味のない話なんだけど・・・」

 そう言って、大先生が話し出す。

「要するに、物流が日本経済にとっても企業経営にとっても大きな課題になったとき、なぜ物流業者が主導権を握らなかったのか、なぜ荷主に主導権を取られてしまったのかという、まあ愚痴だな」

 女性記者も弟子たちも神妙な顔で聞いている。編集長が嬉しそうな顔でうなずいている。大先生が続ける。

「当時の物流業者は、倉庫業者にしろ輸送業者にしろ、保管量や輸送量の量的拡大への対応にばかり関心が行ってしまい、企業の物流をどうするかという肝心な点については考えが及ばなかった、と言うより関心を示さなかった。結局、物流をどうするかという仕組み作りは荷主が自分でやることになってしまった。その結果、物流業者は、荷主の指示通りに作業をするだけという役割分担に甘んじてしまった。惜しいな、本当に・・・」

「要するに、物流業者は業務請負業になってしまったということですね」

 大先生の悔しそうな顔を見ながら、編集長が相づちを打つ。

「そう、当時は、当然物流については誰も何も知らないという時代だから、物流業者も荷主も同じ土俵に立っていた。だから、物流業者が率先して物流を研究し、荷主の物流の仕組み作りをリードする立場に立つことも十分可能だった。つまり、いまで言う3PL。物流は、仕組み作りから運営、管理まですべてプロである物流業者に任せるのが当たり前という状況が作れたはずなんだ。そうなれば、物流の歴史は随分違ったものになった。少なくとも、荷主と物流業者は実質的なイコールパートナーの関係になっていたに違いないと思う」

 みんなが「確かに」という顔で頷く。

「後で聞いた話だけど、荷主の物流担当者は、物流をどうしたらいいか分からないので、物流業者に問い合わせたけど、適切な答えが返ってこなかったので、これは自分たちでどうにかしなければならないということで研究を始めたということだった」

「その問い合わせを受けた物流業者さんが、これは新たな荷主ニーズだということで研究を始めて、主導権を握るような形で動いていれば、それが波及して、物流業界も変わっていたかもしれませんね」

 女性記者が感想を述べる。みんなが同意するようにうなずく。大先生が続ける。

「そうだな、荷主の物流は全て、おれたちが代行してやるぞという意欲的な意気込みが物流業者に当時あったなら、いまは大分変っていたはずだ。増えた貨物をどうしようなんてことに留まらないで‥‥あっ、いかん。愚痴になってしまった。もうやめよう」

 

◆またまた「失われた40年」

 大先生がぶつぶつ言うのを見ながら、女性記者が思いついたように言う。

「倉庫が保管型から流通型に変わったときが、倉庫業者にとって飛躍の大きなチャンスだったということですか。なるほど、編集長があそこで『苦言』と投げ掛けたのはそういうことだったんですね」

 編集長がうなずき、独り言のように言う。

「確かに、その頃、物流業者が主導権を取っていたら、日本の物流はまた違った歩みをしたでしょうね‥‥」

 編集長の話を大先生が遮る。

「まあ、『たられば』の話をしても意味がないので、もうやめるけど、いまの話は、実はいまからでも遅くないことではある」

「物流業者が主導権を取れって話ですか?」

 編集長が確認する。大先生がうなずいて、続ける。

「荷主の物流は、顧客あるいは社内の生産や営業など他部門の制約を受けて、いまだに多くの無駄を内包している。また、震災対応や環境対応、グローバル化など課題を多く抱えている。実際のところ、もう荷主の物流部門では手に負えない領域に入っていると言って間違いない。その意味で、いまこそ物流業者の出番だと思う。そろそろ、失われた40年を取り戻す時だ」

「あっ、また失われた40年ですか‥‥」

「まあ、それはいいとして、なんだっけ、あっ、そうそう、倉庫業について振り返ってみるんだったな」

「そうです。先ほど、先生は、倉庫業は量的拡大に追われたっておっしゃいましたけど、たしか庫腹増強を目的として、えーと、そうそう『倉庫整備5カ年計画』なるものが策定されたのはちょうどそのころじゃなかったでしょうか?」

 編集長がノートを見ながら確認する。大先生がうなずいて、弟子たちを見る。美人弟子が資料を取り出す。

「はい、昭和40年にスタートし、繰り返し採られた政策です。昭和46年の運輸白書では、『わが国経済の長期にわたる高度成長は旺盛な保管需要を生み、倉庫整備の実績が計画目標を上回ったにもかかわらず庫腹不足の状況がいぜんとして続いている』と書いています。当然ですが、保管需要の伸びが旺盛だったようです」

「荷物がどんどん増えている状況なら、荷主の物流の仕組みの研究なんて面倒なことには手を付けないかもしれませんね。倉庫さえ用意すれば、いくらでも需要はあるんですから。もうかってしようがない状況だったってことですよね?」

 女性記者の素直な感想に美人弟子が首を振る。

「それが、倉庫業の経営は結構苦しかったようです」

「えーっ、本当ですか? どうしてですか?」

 美人弟子が別の資料を取り出す。

「これも同じ運輸白書からですが、こう書いてあります。『この数年来、庫腹増強の必要性が問題とされているが、倉庫業はその公共性ゆえに現行保管料は、普通倉庫については昭和3911月に改定されて以来、また冷蔵倉庫については367月に一部改定が行なわれて以来、据え置かれており、新設倉庫の採算割れ、金利負担の増大等とあいまって新規設備投資をますます困難ならしめているとともに近代化諸施策を遂行するうえでの障害ともなっていた』という状況だったようです」

 編集長がうなずきながら意見を述べる。

「やっぱり、それは、業務受託業だったからですよ。公共的な料金ということもあったんでしょうけど、人件費などが上がる中で料金を据え置かれると痛いな」

 大先生がうなずき、付け足す。

「それに、荷主からの要請が複雑になってきているのに、料金体系は旧来の保管型の時代のものだから、当然、仕事にマッチしなくなってきている。そこで、倉庫業界からは当然、改定の要求が出された」

「なるほど、なんか身につまされる話になってきましたね。催促するのもなんですが、このあたりでコーヒーにしませんか‥‥」

 編集長の催促で、いったん休憩に入った。

 

14回 倉庫事業者の二つの選択肢

物流概念が普及したことで荷主は倉庫会社に対して、単純保管だけでなく、物流を構成する諸機能の提供まで求めるようになった。これに伴い、倉庫業の料金制度は改定され、トラック運送業との垣根は崩れていった。新たな時代を迎えた倉庫業には、二つの選択肢が示されていた。

 

◆荷主ニーズに対応した料金改定

 倉庫業の変遷についてのやり取りが続いている。コーヒーを飲み終わるのを見計らって、女性記者が弟子たちに向かって質問する。

「先ほど、倉庫料金が長い間据え置かれていて、しかも荷主の新たな要請に合っていない料金体系になっていたとおっしゃいましたが、料金の改定はどのような形でなされたんですか?」

 美人弟子が、うなずいて、手元の資料を見ながら答える。

「運輸白書では、倉庫業においては質的変化が要請されているという認識の下に『これらの変化に対応した料金体系の合理化、すなわち、普通倉庫における品目分類の簡素化、貨物の荷動きの迅速化に対応した期制への変更、従価・従量併用制における従価率の縮小ならびに級地制の再検討、また、冷蔵倉庫においては、保管温度別による現行4段階料金体系を現状に即した体系に改めることが課題とされた』と当時の状況が説明されています」

「なるほど、これまでの保管という静的な仕事から物流という動的な仕事への対応が必要だという雰囲気を感じますね」

 編集長が、コメントを挟む。大先生が「まあ、そうだな」とやや気乗りしない顔で相槌を打つ。美人弟子が続ける。

「実際に料金改定が行われたのは、昭和4581日からです。その改定のポイントは、普通倉庫については品目分類が整理された結果、108品目が86品目になったこと、保管料計算期間が月二期制から三期制に変更されたこと、従価率割合を縮少としたことなどでした。冷蔵倉庫については4段階料金体系を2段階料金体系へ段階的に改定していくこになったようです」

「なるほど、いよいよ三期制の登場ですね。ところで、当時、庫腹の増強が課題だったということからすると、当然、新規参入も多かったんでしょうね?」

 編集長の問い掛けに体力弟子が答える。

「これも情報の出典は運輸白書ですが、当然、新規参入は多くありました。そこで特徴的なのは、新規に普通倉庫に参入した事業者のうち半分近くがトラック運送業者だったという点です。逆に、倉庫業者が、子会社という形態も含めて、トラック運送事業に進出する傾向も顕著だったようです。いずれにしても、保管と輸送が緊密に連携してきたことを表す事象と言っていいでしょうね」

「なるほど、倉庫と運輸の垣根がなくなってきたということだ。でも、倉庫業者の場合は、自社で保管している貨物の配送のためという範囲での話なんでしょうね」

 編集長が確認するように聞く。大先生が「そういえば‥‥」と言って、コピーの束を繰る。何が出てくるのかと、みんなが興味深そうに大先生を見ている。「これこれ」と大先生がコピーを取り出し、みんなに見せる。

「これは、おなじみの『輸送経済』という業界紙の、昭和464月に行われた座談会記事なんだけど、いまの編集長の質問に関連する話も出てくる」

「へー、どういう方々が登場しているんですか?」

 編集長が興味深そうにのぞき込む。大先生が出席者を紹介する。

「えーと、乾倉庫常務の乾宏年さん、札幌三信倉庫社長の小野隆央さん、光明運輸倉庫取締役の村山光さん、寺田倉庫常務の山下治朗さんという4人の方々が登場している」

「当時の論客ですかね?」

「論客かどうかは分からないが、みんな、結構いいこと言ってる。さっきの編集長の質問に関連するところでは、例えば、寺田倉庫の村山さんが『私のところは一般貨物の区域運送も行っている。こうした姿勢をとらないと、採算意識がもてないと思う』と指摘している。つまり、区域輸送を事業として展開しているということだ」

 大先生の説明に編集長がうなずく。大先生が続ける。

「また、乾倉庫の乾さんも『私のところは関係会社、子会社のラインは作るが、それぞれ原価意識に徹して行っており、若干ではあるが、部門ごとに利益をあげている』と言っている。つまり、多くの場合、付帯サービスという認識ではなく、運送も事業ととらえているということだな」

「そうですよね。運送も事業なんだから、確かにそうです」

 編集長の自分を納得させるような言葉を無視して、大先生が続ける。

「この座談会によると、むしろ荷役料が問題だったようだ。乾さんがこう言っている。『どこの会社でも、荷役料については赤字、あるいはせいぜい収支トントンだと思う。この赤字分を保管料でカバーするというのはおかしい。本来、保管料と荷役料は別問題だ』と指摘しているけど、この背景には、人手不足があったようだ。なかなか人が集まらず、作業のための人件費が高くなっていたことは否めない」

「なるほど、人手不足ですか。そう言えば、その時代は、物流業に限らず産業界全般で人手不足が大きな課題だったんだ。そうだ、そうだ」

 編集長が勝手に納得している。体力弟子が補足するように、説明する。

「倉庫業では、作業者だけでなく、新卒者の採用も苦戦していたようです。いまはそういうことはないんでしょうが、当時は、倉庫業のイメージが悪いというので、倉庫業のイメージ改善をテーマにした座談会なども業界紙の紙面を飾っています」

 体力弟子が、そう言って、新聞のコピーを見せる。そこには「倉庫業のイメージを語る」などという見出しが躍っている。編集長がうなずいて、確認するように言う。

「特に作業者の人手不足に対する対策としては、自動化、機械化だったんでしょうね。自動倉庫などが普及した背景には労働力問題もあったんだな」

「そうですね。人手不足対策は人手を使わない体制を作るというのが原点ですから」

 

◆倉庫業の質的転換

 体力弟子の言葉に女性記者がうなずき、話題を変える。

「それはそうと、先ほど先生がお話しされた座談会では、ほかにどんなテーマが話されているんですか?」

 大先生がうなずいて、「それなんだけどね‥‥」と言って、話し出す。

「倉庫業の質的転換という話題の中で、村山さんという方がこういうことを言っている。『コストダウンに協力して欲しいという声が荷主から出ているのは事実で、その声に応えるには輸送、梱包部門などを持つだけでなく、荷主のトータルコストを下げるといった面に取り組む必要があり、これが質的転換に結びついていくのではないか』と述べている。質的転換は量への対応ではなく、荷主ニーズへの対応で実現するという、実に正論で、興味深い指摘だな」

 大先生の言葉に編集長が大きくうなずく。大先生が、にやにやしながら、編集長に「実は、もっとすごいこと言ってるぞ」と言う。編集長が「なんですか、教えて下さい」と身を乗り出す。

「質的転換という点で、それでは具体的に何をするかというと、この人はこう言ってる。『たとえば、荷主に対して適当な在庫量をアドバイスしていくことも必要だ』って」

「へー、それは在庫を減らせということですか? そんなことしたら、保管料収入が減ってしまいますよね?」

 そう言う編集長に向かって、大先生が「編集長も苦労人だな。話をうまく展開させようと思って、わざとそういう旧い発想での質問をするんだ」と言う。編集長が、「いやいや」と言って、照れくさそうな顔をする。

 大先生が続ける。

「いまの編集長の質問に、村山さんはこう答えている。原文通りに言うと、こうだ。『在庫が多ければ、それだけ保管料収入も多くなるが、長い目で見れば、このアドバイスをすることは、倉庫業の量から質への転換の一つの打開策でもあると思う』と、こう喝破している。質的転換というのは、これまでの延長線上では決してできなくて、これまでのやり方の否定からしかできないという指摘だ。同感だな」

 大先生の言葉に、みんなが大きくうなずく。ちょっと間を置いて、女性記者が、遠慮がちに質問する。

「たしかに当時としては、すごい発想の転換ですね。それで、倉庫業者は、その質的転換はできたのでしょうか?」

 素朴な質問に大先生は答えず、編集長を見る。編集長が即答する。

「その会社がどうなったかは分からないけど、大方の傾向としては、そういう質的転換はできなかった。結局、業務請負業でずっと来ていると言って間違いない」

「それはどうしてですか? なぜ、質的転換ができなかったんでしょうか?」

 女性記者の質問に今度は大先生が答える。

「結局は、日常業務に追われてしまった。荷主のトータルコストを下げるとなると、それなりの能力が必要になる。つまり、人材だ。そういう人を育てるということに力を入れなかった。力を入れる余力がなかったのか、入れる気がなかったのか・・・いずれにしろ、そのうち、荷主の方はどんどん先に行ってしまう。物流業者は後ろから付いていくしかなくなったというのが実態だな」

「物流の仕組みは荷主が自分で考えるから、物流業者は実作業をやってくれればいいという、いわゆる1PL(ファーストパーティ・ロジスティクス)という形態が定着してしまったということですね?」

 編集長が解説する。大先生がうなずき、「いまからでも遅くないから、物流業者は先人の思いに立ち戻ればいいのさ」と誰にともなく言う。

 

◆『本籍倉庫業・現住所物流業』

 美人弟子が「そう言えば‥‥」と資料をめくり、話し出す。

「質的転換とも関連するんでしょうが、当時のある座談会で、倉庫業の将来方向が議論されています。そこで、面白い切り口が提示されています。それは、倉庫業は、労働集約的な方向に行くのか、資本集約的な方向に行くのかという議論です。これは、倉庫業ならではの切り口だと思います」

 編集長が興味深そうに身を乗り出す。

「たしかに資本集約的というのは倉庫業ならではですね。資本集約的というのは、倉庫施設を売りものにするということですよね。保管を中心に行くわけだ」

 美人弟子がうなずくのを見ながら、編集長が続ける。

「労働集約的というのは、保管ではなく、物流業務に軸足を移すということですね? 物流業になるということか・・・」

「そうですね。物流業で行くというのは、倉庫は、お客さんに届けるための結節点としてあるのであって、保管という概念はなくなっていくものだという主張が色濃く反映されたもので、それが労働集約的と言われる方向のようです」

「なるほど、それに対して、保管がなくなることはない、保管業に徹していくというのが資本集約的という方向ですね」

「それだけではなく、資産を貸し出すという賃貸業的な方向性もあります」

「そうか、そうなると、自身は倉庫を持たず、そういうリース物件を借りて、労働集約的な方向に行くという選択もありだ。一企業として、どちらかの選択を強いられたわけだ」

「強いられたというよりも、荷主物流の変化を前にして、どちらに行くか見切りをつける時期にあるという現状認識だと思います」

 編集長が「うんうん」とうなずき、おもむろに意見を述べる。

「なるほど、これは経営戦略の部類だ。倉庫業として事業継続の方向性を決めようとしたわけだ」

 大先生が苦笑しながら、同意する。

「まあ、確かにそうだ。当時としては、結構重い選択だったかもしれない」

 編集長がうなずき、「いずれにしても、中途半端では駄目だということだったんでしょうね。特に、物流業で行くとなると、これまでとは違った商売だから、それなりの体制を構築しなければならないですから」と言う。

「しかし、結局は顧客ありきだから、荷主の意向に応える体制を作らなければならない。自身で立ち位置を決めたというよりも、荷主の要請に応えて、物流業に転換していった倉庫業者が多いのは事実だ。いまは、多くが『本籍倉庫業、現住所物流業』だと思う。まあ、地域や荷主によっては、本籍が現住所という事業者もあるけど」

「さっき資本集約という言葉が出ましたけど、そこに倉庫業の原点があるんだ。なるほど、本籍か・・・」

 訳の分からない編集長のつぶやきにみんなが顔を見合わせる。

 

15回 「第三の利潤源」の発見

ドラッカーが米フォーチュン誌に、流通を「経済の暗黒大陸」だと評した論文を発表したのは1962年のことだった。その8年後、早稲田大学の西澤脩教授(当時)は「流通費」を上梓。会計学の視点からこの問題に切り込み、物流を「第三の利潤源」だと喝破した。日本に物流概念が広まる一つのきっかけとなった。

 

◆昭和45年を振り返る

 まだ梅雨前だというのに、蒸し暑い日が続き、暑さに弱い大先生はもう夏バテ状態だ。

「ちわー、暑いですね」

 編集長が相変わらず元気な声で大先生事務所を訪れた。

「おたくは、年がら年中元気だな」

 大先生が、あきれたように声を掛ける。

「はい、元気だけが取り柄ですから」

 編集長が当たり障りのない返事を返すが、大先生は納得顔で大きくうなずく。

「確かに、それ以外、取り柄のようなものはないな。うん、確かに」

 大先生の言葉に構わず、編集長が椅子に座り、大先生に話し掛ける。

「この前、テレビで、昭和の時代を振り返る、みたいな番組があったので、見てたんですが、いま話題にしている昭和45年、えー・・・」

1970年です」

 女性記者の即座のつっこみに、編集長がわざとらしく嫌そうな顔をして、続ける。

「分かってるよ。それで、その年って結構興味深い年ですね。一番の話題は、大阪万博でした。オリンピックに次ぐ国際的な行事で、大変な人気だったようです」

「そうです。あまりの人出で、どのパビリオンも待ち時間が長く、万国博をもじって残酷博って言われたらしいです」

「えっ、なんで、おまえが知ってるの?」

 編集長の驚いたような声に女性記者が、「私もその番組見ました」と答える。女性記者が大先生に聞く。

「先生は、缶コーヒーがその年に誕生したって記憶ありますか?」

 大先生は、首をひねるだけで何も言わない。編集長が女性記者の話を引き取る。

「そうそう、そのころ、先生は電車を使っていたでしょ。当時の国鉄の初乗り運賃は30円だったそうです。安くていいですね・・・」

 編集長の妙な感想に大先生は何も言わない。女性記者があきれたように編集長を見る。編集長が、場を取り繕うように、話を変える。

「えーと、テレビのナレーションでは、万博を高度経済成長期の最後の打ち上げ花火などと言ってました」

 編集長の言葉に大先生がうなずく。

「たしかに、後から振り返れば、その3年後に高度成長は終焉を迎えるのだから、そうとも言える」

「そう言えば、高度成長期に仕事一筋でモーレツに働く人たちをモーレツ社員などと言っていたようですが、その反省も出始めていたらしく、モーレツからビューティフルへという言葉もはやり始めたようです」

 編集長の言葉に大先生がうなずく。

「ああ、そのフレーズは記憶にある。妙に懐かしい」

 大先生が懐かしそうな顔をするが、なんとなくわざとらしい。

 

◆西澤脩教授の「物流氷山説」

 編集長が、ちらっと壁の時計を見て、話題を変える。

「昭和45年を振り返るのは、それくらいにして、本論に入りますが、よろしいですか?」

 編集長の言葉に大先生が黙ってうなずく。編集長が続ける。

「この前、倉庫業についてお話を伺ったとき、営業倉庫面積の何倍もの広さの自家倉庫があるということでしたよね?」

「そう、当時は、物流は自分でやるのが当然だったからな。うちの大事な物流を物流業者に任せることなどできないという感覚があったことは否めない。特に、倉庫は、倉庫業者うんぬんというよりも、工場倉庫や問屋の倉庫は、自分たちで持つのが当たり前だったから、結構多かったと思う」

「それで思い出したんです。あれを・・・」

 編集長が思わせぶりに大先生を見る。大先生が、けげんそうな顔で聞く。

「あれって何?」

「いまのお話は、自家物流が多かったってことでしょ? そう言えば、ぴんと来るでしょ?」

「何もぴんと来ないけど・・・」

「またまた、しらばっくれないでください。自家物流コストですよ」

「しらばっくれているわけじゃないけど、多分あのことだな。何、今日はその話をするわけ?」

 二人のやり取りをおとなしく聞いていた女性記者が、ついに我慢しきれないという感じで口を挟む。

「お二人で何を遊んでるんですか。何のことか、私にはさっぱり分かりません。何のことですか、お分かりになります?」

 そう問われた美人弟子がうなずいて、答える。

「多分、物流氷山説のことだと思います。西澤先生の・・・」

「そうです。それです」

 編集長が大きくうなずく。女性記者が「何のこっちゃ」という表情で、美人弟子に質問する。

「その物流氷山説というのは、どういう説なんですか?」

 美人弟子がうなずいて、説明する。

「物流コストというのは、今でもそうですが、企業会計上は外部への支払額しか把握できないんです。つまり、物流業者への支払額です。ところが、多くの会社では、さっき編集長がおっしゃったように、自社で物流をやっている割合が高いわけです。でも、その自家物流コストは特別の計算をしないと見えないということから、外部への支払額など目に見える物流コストは氷山の一角で、多くは海面下にあるという主張を西澤先生がなされたんです。それを物流氷山説と言います」

「なるほど、氷山説とは言い得て妙ですね。自家物流のコストは海面下にあるってことなんですね」

「そういうことだ。その説を唱えた西澤脩先生というのは、先生の恩師なんですよね? それはいいとして、おれが言いたいのは、西澤先生が書かれた、ある本を語らずに、昭和40年代後半の物流の歴史は語れないってことさ。そうですよね、先生?」

「西澤先生がおれの恩師だからというわけではないけど、確かに、その本が物流への関心を高めるという点で大きな役割を果たしたことは間違いない」

 女性記者が、興味深そうに聞く。

「それって、どういうご本なんですか?」

 編集長が、自分の取材ノートを見ながら答える。

「書名は『流通費』というもので、光文社という出版社のカッパビジネスというシリーズの一冊として昭和45年に出されたものさ」

「それで、編集長はそれを読んだわけ?」

 大先生の問い掛けに編集長が首を振る。

「なんだ、読んでないのか。この本を語らずして40年代後半の物流は語れない、なんてたんか切っておいて、読んでないんだ‥‥」

「ほんとですよね。読んでないなんておかしいです」

 女性記者も大先生に同調して、編集長を非難がましい目で見る。

「はぁー、いえね、前に先生から企業に物流が広まったきっかけとして『第三の利潤源説』があるとうかがったのを思い出して、ネットで検索してたら、その本が出てきて、いろいろ見ていたら、氷山説や利潤源説などが出てきたので、これは取り上げなきゃいけないなって思った次第なんです、はい」

 編集長の言い訳が終わるのを待って、女性記者が話を進めようとする。

「編集長が読んでいないというのは、置いておくとして・・・」

「しつこいんだよ、おまえは」

 編集長がわざとらしく女性記者をにらむ。めげずに女性記者が続ける。

「だから、置いておくって言ったでしょ、もう。ところで、先生、妙な聞き方をして申し訳ありませんが、その本は、そもそも、どういうご本なんですか? 西澤先生という方がその本を書かれていたとき、先生は、ゼミのお弟子さんだったんですか?」

「そう、そのとき大学院の西澤ゼミにいた。先生が書かれている過程で、いろいろ話も伺った。ちょっと待て」

 

◆流通は経済の暗黒大陸である

 大先生が席を立ち、書棚を探している。「これこれ」と言って、古めかしい本を持ってきて、みんなの前に置く。

「へー、これですか。わぁ、こんなざらざらした紙質だったんですね。なんか骨董品的な価値がありそうです」

 女性記者が、感激したような声を出す。編集長も、興味深そうな顔で手に取り、「へー、西澤先生のサイン入りですね」と言う。大先生が、解説を始める。

「さっき話の出た第三の利潤源については、前書きで、先生はこう指摘している。『製造原価や仕入原価の引き下げは壁につき当たっているので、流通費を削減する以外には、企業利潤を確保する余地はない。そして幸いなことに、流通費は、うまく管理すれば大幅な削減が可能だから、流通費をどれだけ削減しうるかが、とりもなおさず、どれだけ利益を増加しうるかの代名詞となるわけだ。流通費こそは、原価削減の宝庫であり、第三の利潤源≠ネのだ』ということだ」

「物流費というよりも流通費ということだったんですね。いままで、物流費は第三の利潤源だと思ってました」

 編集長が、素朴な感想を述べる。大先生がうなずき、説明する。

「その頃、いま『もしドラ』で改めて注目を集めているアメリカの経営学者、P・F・ドラッカーが『流通は経済の暗黒大陸である』と喝破して、大きな話題を呼んだ。これは、もちろん、わが国でも同じで、生産と消費を結ぶ流通が非近代的な状態にあったわけで、商品価格のかなりの割合、一説では6割と言われているけど、それだけ大きなコストが流通に掛かっているという認識だった。そこにメスを入れないと駄目だというのが先生の主張だった。それで、会計学者だった先生は、費用という視点から切り込んだってわけ」

「ということは、そこでは、物流の費用だけでなく、他の流通の費用も下げろということなんですね」

「そう、流通費とは何かという章で、流通費には、社会的流通費、取引流通費、物的流通費、情報流通費の4つがあると解説されている。そして、それぞれに費用の特徴と原価低減の方策が紹介されているというのが、全体の構成なんだけど、さっきの編集長の質問に答えるには、ここの記述が意味があると思う・・・」

 そう言って、大先生がページを繰って、探している。みんな、一様に興味深そうな顔で大先生を見ている。

「ここだ。えーと、こう書いてある。『取引流通費は売上高を高めるための費用であるから、少なければ少ないほどよいというものではない。もっとも効率のよい取引流通費を使わなければならない』とあり、要するに、取引流通費は下げればいいというものではないという性格だとした上で、『これに反し、物的流通費の管理は、話がかんたんだ。物的流通の目的は製品を安全・無事に顧客まで送り届けることにあるのだから、この使命をまっとうしうるかぎりにおいては、物的流通費は少なければ少ないほどよい。ズバリ、コストダウンが実現できるのは、この物的流通費の領域なのである』と断じている。ここから、物流費は第三の利潤源という理解が広がったということだな」

 編集長が大きくうなずく。

「なるほど、そういう展開で物流費が利潤源として位置付けられるわけですね。ところで、文体が大学の先生らしくないように思いますが、それは本の性格によるものですかね?」

「そうそう、本来の先生の文体とはまったくと言ってよいほど違う。当時、先生が、自分が書いた原稿のほとんどを手直しされたっておっしゃってたから、編集者が本の性格に合わせて修正したんだと思う」

 二人の話の合間を縫うように、女性記者が質問する。

「そこで言われている第三の利潤源というのは、具体的にどんなことなんでしょうか?」

「うん、いい質問だ。ここは編集長に答えてもらおう」

 大先生の言葉に編集長が、わざとらしく「えっ」とのけ反るが、すぐに「よし、教えてやるか」などと言いながら、姿勢を正す。そんな編集長を見て、女性記者が、ちょっとからかうように「よろしくお願いします。先生」と編集長に頭を下げる。

「まず、利潤源だけど、企業の利潤源としては、大別すれば二つある。何だか分かるか?」

「利潤源というのは、利益を生み出す源ですよね。利益というのは、売上から費用を引いた残りですから、利益の源の二つというのは、売上と費用ということです。いかがですか、先生」

「なんだ、分かってるじゃん」

 二人のやり取りなどお構いなしに大先生はじっと『流通費』を開いて読んでいる。いやいや、寝ている・・・。

 

16回 自家物流コストを把握する

物流コストは企業業績にどれだけの影響を与えているのか。それを明らかにすれば、経営者の意識が変わる。日本に物流概念を普及させる大きな原動力となる。しかし、自家物流コストは、外部への支払いが発生せず勘定科目に埋もれているため、それを把握すること自体が容易ではなかった。

 

◆そもそも「第三の利潤源」とは?

 大先生事務所で、編集長と女性記者のやり取りが続いている。話題は、第三の利潤源についてだ。女性記者が編集長に聞く。

「流通費でも物流費でもいいんですけど、これが第三の利潤源なんだぞって言われても、何か、もう一つインパクトが弱い感じがぬぐえません。アピールポイントは、もっと別にあるんですよね?」

「インパクトを持ったアピールポイントは何かということだな。うーん、先生、どうぞ」

 編集長から突然話を振られた大先生が、おもむろに顔を上げ、二人を見る。二人が身構える。

「昔、第三の男って映画があったろ?」

「えっ、あのチターのテーマ曲で有名な?もちろん知ってます。えー、あれと何か関係あるんですか?」

 編集長が身を乗り出す。

「関係あるわけないだろ。ばかだねー、おたくは」

 大先生の言葉に編集長がむっとした顔をする。女性記者が、楽しそうに大先生の顔を見て、うなずいている。

「利潤源は売り上げと費用しかないんだから、第一の利潤源が売上増、第二の利潤源が、メーカーで言えば製造原価、流通業で言えば仕入原価、そして、それに次ぐ利潤源として三番目に物流費が来たってことだ。まあ、ここまではいいな?」

 大先生の確認に女性記者がうなずく。編集長はすねた感じで、そっぽを向いている。それに構わず大先生が続ける。

「ここでインパクトのあるアピールといえば、第一の利潤源との対比で説明したことだな」

 大先生の言葉に、今度は編集長も興味深そうな表情をする。女性記者がノートにペンを走らせている。

「例えば、売上高に対する物流費の割合が5%しかなかったとして、それを10%減らしましたって言っても、利潤源と言うほどのインパクトはないだろ?」

「そうですねー。それじゃあまりアピールしませんね」

 大先生の質問に編集長が素直に応じる。もう機嫌を直したようだ。

「そこで、こういうアピールをした。頭の体操だ。頭の中で計算してごらん。いい?」

 編集長と女性記者が、何ごとかといぶかるように、小さくうなずく。

「ここに1000億円の売り上げの企業があったとする。営業利益が3%の30億円、物流費が50億円、売上対比で5%だ。ここで頑張って物流費を一割減らしたとする。削減額はいくらになる?」

 大先生の問い掛けに編集長は下手に答えたらまた何か言われると思ってか、答をちゅうちょしている。そんな編集長に代わって、女性記者が素直に答える。

5億円です」

「そう。何だ、編集長は暗算が苦手か?」

「いえ、そうじゃなくって・・・まあいいです。先に進んでください」

 大先生と女性記者が顔を見合わせて、にたっと笑う。

 

◆物流コスト削減のインパクト

 大先生が続ける。

「まともに5億円のコスト削減をしましたって言ったって、『なんだ5億円か』なんて言われかねない。そこで、第一の利潤源を利用する。さて、どう利用する?」

 女性記者が、小さく手を上げる。大先生がうなずくのを見て、答える。

「第一の利潤源は売上増ですよね。その5億円がどれくらいの売上に匹敵するかを示したんですか?」

「正解。いくらになる?」

「えーと、先ほど営業利益率が3%とおっしゃいましたから‥‥」

「約170億円」

 女性記者が答える前に編集長が答えを言う。今度は、女性記者がむっとした顔で編集長を睨む。大先生が楽しそうに続ける。

「まあ、そういうことだ。5億円といってもピンとこないけど、売り上げを170億円、つまり17%の売上増に匹敵する経営効果を発揮するとなると、関心の度合いが違ってくる。当時は、売上の伸びは当分期待できない、製造原価の低減は限界だと言われていたときだから、一気に利潤源としての物流に関心が集まった」

「物流費率がもっと高かったり、利益率がもっと低いと、その効果はもっと大きくなりますね」

 編集長が確認するように言う。大先生がうなずく。

「そういうこと。これが第三の男、じゃない、利潤源説」

 大先生の言葉に編集長がちょっと嫌そうな顔をする。女性記者がうなずきながら、独り言のように言う。

「ちょっと視点を変えただけで、ずいぶん印象が違いますね。5億円のコスト削減には違いないんですけど・・・」

「まあ、当時、物流コストの削減が経営における課題だという認識が広まりつつある中で、そのような説が物流への関心を一層引き寄せたってことだ」

「何か新しいことが関心を呼ぶためには、そういうキャッチフレーズ的な言葉って重要ですね」

 女性記者が、納得したような顔で感想を述べる。大先生がうなずいて、続ける。

「確かに、キャッチフレーズなんだから、素直に受け入れればいいと思うけど、些細なことで批判も出ていたな」

「へー、どんな批判なんですか?」

 女性記者が興味深そうな顔をする。編集長も「へー」と言って、大先生を見る。

「第三の利潤源説は、当然だけど、ほかの製造原価や販管費などは変わらず、同じ条件の中で物流費だけが低減するという前提で展開されている。つまり、物流費以外の費用に変化はないという前提だ。ここで、そのような前提はあり得ないという批判が出た。効率化によって物流が変われば、それ以外の費用にも変化が出て、物流費の削減額がそのまま利益になるわけではないといったものだった」

「うーん、何か、その批判は分かったような、分からないような批判ですね」

 編集長が小首をかしげながら言う。女性記者が続ける。

「正直、あまり意味のない批判に思えます。製造や販売に影響を与えることなく、物流だけでコスト削減を行うことは可能なんじゃないでしょうか?」

 女性記者が断定的な物言いをする。大先生がうなずいて続ける。

「そう、そのころは、売り方や作り方とは関係なしに、物流にある無駄を排除するだけで大きな効果を上げることができた。その意味で、拙い言いがかりに過ぎない」

 

◆『物流コスト算定統一基準』

「でも、そんな批判が出ても、その利潤源説は広まったわけですよね?」

 編集長が大先生に確認する。

「もちろん、利潤源説が、間違いなく、物流に関心を呼ぶ大きな原動力になった」

「そういう流れの中で、氷山説で言う海面下の物流コストにも関心が向いていったっていうことですか?」

「そういうこと。ただ、そこで、自家物流コストをどう把握するかということが課題になったわけだ」

 大先生の言葉に編集長が何か思いついたようだ。「たしかに、コストが分からなければ、削減のしようがないですもんね」などとぶつぶつ言いながら、ノートを繰っている。目指すページが見つからないのか、ふと手を止め、「あれです」と言って、大先生を見る。

「あれって何?」

「ほら、あれです、国交省、じゃない、当時は運輸省でした。運輸省が物流コスト計算に関する報告書を出しましたよね?そのころ」

「もしかして、『物流コスト算定統一基準』のことか?」

「それです、それ。それは海面下の物流コストを把握するための手引書みたいなものですよね」

「そうだけど、あれが出されたのは、もっと後の1977年ごろだ。物流への関心の高まりとともに、物流コストをどう計算すればいいのかという産業界の要望が強まり、政府が指針という形で提示したんだ。考えてみれば、政府がそういう指針を提供するくらいだから、当時、いかに物流コストが大きな関心を呼んでいたかが分かるな」

 編集長が大きくうなずく。隣で女性記者も「そうですねー」とうなずいている。編集長が、恐る恐るという感じで大先生に提案する。

「ちょっと時代が先に進んでしまいますが、話の流れということで、その算定基準についてお話を伺ってもいいですか?」

「もちろん、いいよ。おれにとって、その算定基準は懐かしい。おれは、それを使ってずいぶん講演をしたもんだ」

「私の記憶では、それは物流コストを三つの面から算定するという内容だったように思うんですが、なぜか、今は、そのような算定の仕方が忘れられてしまっているような気がします」

「確かに、そうだな。物流コスト管理自体が存在しない会社が結構ある。一体どんな管理をやってるんだか。まあ、文句はまたとして、今編集長が言った三つの面というのは、物流コストの分類の仕方で、物流領域別、物流機能別、支払形態別の三つを言う」

「領域別というのは、物流のどの範囲を算定対象にするかということですよね?」

「へー、よく知ってるな。そのとおり。調達物流、社内物流、販売物流、返品物流などという区分だ。物流コスト計算に当たっては、どの範囲を対象にするかをまず決めなさいということだ」

「そして、どの機能、つまり、包装、輸送、保管などの機能のうち、どれを算定の対象にするかを決めなさいというのが物流機能別ですよね?」

「そうだけど、編集長は、算定基準を読んだのか・・・よく分かってる」

 大先生にほめられて、編集長はまんざらでもなさそうな顔をする。大先生が続ける。

「この算定基準のポイントは、最後の支払形態別計算だと言える。前にも話が出たように、自社で消費している物流にかかわる費用は、人件費や材料費、減価償却費など経理上の勘定科目に埋もれてしまっている。この中から物流に掛かったものを抜き出すという作業が必要になる。支払運賃や支払保管料など外部の業者への支払額はすぐにつかめるけど、自社で掛かった費用は特別の計算が必要になる。その方法を示したのが、この支払形態別計算ということだ」

「その計算が面倒なので、それまでは、外部への支払額しか物流コストとしてとらえていなかったわけですね。それだと額が小さいため、物流コストが過少評価されてしまう。企業内における物流の価値を高めるためには、物流コストは大きいほど良いってことか・・・」

 編集長がちょっと首をかしげながら言う。大先生がそれを受けて話す。

「物流コストを三つに分類して、それぞれ範囲を決めて計算せよというのは正しい提案なんだけど、その結果、企業間での物流コスト比較ができなくなってしまったという事態が生じた。分かる?」

 

◆自家物流コストの把握は進まなかった

「分かります。企業によって、算定の範囲は当然異なるでしょうから、比較はできません」

「そこで、物流コストの評価は企業内で時系列比較をせよということになった。まあ、それはまだいいとして、実のところ、大きな期待を背負って登場した算定基準だったけど、自家物流コストの計算は意外に普及しなかった。それは、なぜだと思う?」

 女性記者が意外そうな顔で「へー、普及しなかったんですか?」と聞く。

「おれが、前の会社にいたときに、自家物流コストの算定度合いを調査したことがある。その調査報告は探せばどこかにあるかもしれないけど、要するに、自家物流コストはほとんどと言っていいくらい把握されていないという実態だった」

 大先生の言葉を聞いて、編集長が何か思い当たったように、話し出す。

「そうすると、3PLなどと言って、自家物流部分を請け負ったりした場合には、注意が必要ですね。荷主はそのコストをつかんでいないんだから」

「そう。その埋もれているコストを正確に引っ張り出さないと、3PL側が損をする危険がある」

「なるほど、そうなると、その自家物流コストの算定方法は、3PLにとって必要な技法ということになってきますね?」

「そういうことだ。ところで、荷主において、自家物流コストの把握が進まなかった理由は何だと思う?」

 大先生に問われて、編集長が「うーん」と考え込む。外はもう暗くなってきた。

 

17回 石油ショックのインパクト

その必要性は多くの人が認めながらも、荷主企業による自家物流コストの把握は遅々として進まなかった。ターニングポイントは、石油ショックによってもたらされた。中東戦争を契機とする原油の急騰と供給ひっ迫で日本経済はパニックに陥り、企業は大幅なリストラを余儀なくされた。物流にも本格的にメスが入れられることになった。

 

◆自家物流コスト算定は進まなかった

 大先生に「自家物流コストの算定がなぜ進まなかったのか」と問われ、編集長がちょっと考えて答える。

「うーん、無難な答えをすれば、算定するメリットがなかったってことですかね」

 大先生が苦笑する。

「たしかに無難な答えだ。まあ、間違えてはいない」

「算定が面倒だったってことはなかったんですか?」

 女性記者が口を挟む。大先生がうなずく。

「経理上の勘定科目から物流関係の部分だけを引き出さないといけないので、確かに、面倒な作業だった。ただ、自家物流コストを算定しないと、物流コスト全体が分からないと言われていたので、それなりにチャレンジしたんだけど、実際のところ、把握できる範囲で算定しようとしたところが多かった」

「そうなると、自家物流コスト全てを算定しようとしたというわけではないということですか?」

 編集長の質問に大先生がうなずく。編集長が続ける。

「それはやっぱり、自家物流コストをきちんと把握しようという動機が弱かったとみていいんでしょうか?」

「まあ、そういうことだな。算定が面倒な上に、算定しても、実際に使いようがなかったっていうのが正直なところだと思う」

 すぐに女性記者がけげんそうな表情で聞く。

「実際に使いようがなかったというのは、どういうことだったんですか? それは当時に限ったことですか?」

 女性記者の質問に大先生が答える。

「簡単に言えば、自家物流コストの削減が難しかったってことだ。だから、当時に限ったことというわけではない。それは今でも同じだ」

 編集長が大先生の言葉にうなずきながら、女性記者に説明する。

「分かっているだろうけど、自家物流コストというのは、自社で保有している物流施設やトラック、それに社員などにかかわるコストなんだ。だから、コストを削減しようとしたら、それらを減らさなければならない。現実に、それはなかなか難しい。それは今でも同じ状況にある」

 編集長の解説に女性記者がうなずく。編集長が続ける。

「つまり、自家物流コストを算定しても、結局、その削減はできないんだから、それなら面倒な算定をしても意味がないってことだ」

「なるほど、それでは、確かに使いようがないですね」

 女性記者が納得したような顔で相槌を打つ。大先生がうなずく。

「そう。自家物流コストは、人や設備をほかに転用できなければ、コスト削減に結び付かないからな。自家物流コストまで入れると、物流コストはどれくらいの大きさになるのかということは興味深いけど、事実上、その削減は難しいとなると、算定しても管理のしようがない。だから、当初、自家物流コストの算定に熱心だった会社でも、結局やめてしまったというところもある」

「なるほど、そういう途中でやめてしまった企業があったことは分かりますが、実際、自家物流コストの算定が進まなかったのは、使いようがないからという論理的な帰結ではなくて、面倒だとか、どうしたらいいか分からないといってやらなかったというのが本音だったような気もしますね」

 編集長の意見に大先生が同意する。

「うーん、編集長はなかなかいい読みをしている。たしかにそうだ。実際、そういう会社の方が多かった」

 

◆新しい物流コスト管理論

 大先生の言葉を聞きながら、編集長が何か思いついたような顔で、確認するように聞く。

「そうか、そういうこともあり、外部委託が進んでいったとみていいのでしょうか?」

「そう、遊休施設があったりすれば別だけど、その当時、物流に経営資源を投下するというところは少なくなっていたので、必然的に外部委託が進んだことは確かだ」

「その当時というのは石油ショック以降ってことですね。その後も、外部委託は進んでいて、今やアウトソーシングの時代って言われてますけど、そうなると、物流コスト管理というもの自体が変わってきますね?昔のように、自家物流コストの把握という切り口ではなく、外部委託費の管理みたいなところに焦点が当たる気がします」

「ほー、今日は、編集長は切れ味鋭いなー」

「またまた、分かり切ったことをおっしゃらないでください」

 大先生が苦笑しながら、女性記者を見る。女性記者が「編集長、またいい気になって」とにらむ。編集長が「冗談、冗談」と言って、続ける。

「輸送や保管という個別の活動じゃなくて、物流全般をアウトソーシングするとなると、荷主にとっては、その費用をどう管理するのかというテーマが重要になってくるはずです。それから、物流業者にとっては、受託料金をどう設定するかということが重要になると思います。つまり、お互いに納得できる料金体系が必要だと思うんですが、いかがですか?」

「いかがですかも何も、まったくその通りだ。さすが編集長」

 大先生が、わざとらしく感心したように言う。編集長が、そうでしょという顔で続ける。

「でも、もう行政がそういうコスト管理について指針を作るなんてことはしないでしょうから、誰かが新しい物流コスト管理の本を出すことが必要ですね。そこで、私が言いたいのは、先生が書かれたらどうですかってことです。今の時代が求める新しい物流コスト管理の本を・・・」

「なんだ、そういう落ちか。誰が書くかは別として、そういう本が必要なことは確かだ。おれの考えはまた別の機会に述べるとして、話を先に進めた方がいいんじゃないか。そろそろ石油ショックのころに入ろうか?」

 大先生の提案に、なぜか編集長がうれしそうにうなずき、「はいはい、石油ショックですね」と言って、ノートを繰る。

「これこれ、あのですね、実は、石油ショックについては、私もちょっと調べたんですが、興味深いことがいろいろあって、下手に深堀りすると抜け出せなくなってしまいそうな気がします」

「じゃー、下手に深掘りしなければいいんだよ」

 大先生の言葉に編集長が「それはそうですが」と言って、口ごもる。大先生が続ける。

「だから、物流に絞り込めばいいってことさ。トイレットペーパーや洗剤などの買いだめ騒動まで話を広げると、収拾が付かなくなる」

 

◆石油ショックで何が起きたか

 編集長がしぶしぶうなずくのを見て、女性記者が割り込んできた。

「実は、私も調べました。第一次石油危機ですよね、197310月に起こった。編集長と違って、私が生まれるはるか昔の出来事ですから実感がありませんが、調べていて驚きました。この第一次石油危機というのは、日本経済の歴史の中ではターニングポイントになった出来事だったんですね」

「あのな、おれだって実感はないよ。ただ、第四次中東戦争の結果、石油価格が何倍にもなってしまえば、それまでエネルギー源の大半を石油に依存していた日本経済は立ち行かなくなってしまうのは当り前さ。石油依存の産業構造からの転換が避けられなかった。それが、おまえのいうターニングポイントさ。それだけじゃなく、国民生活でも、省エネルギーというのがキーワードになり、町のネオンが消されたり、テレビの深夜放送が自粛されたりした。経済だけでなく、国民生活でもターニングポイントだったってわけだ」

 編集長が饒舌になってきた。自分が調べたことを人に聞かせたいようだ。まだ続けようとするのを大先生が遮った。

「せっかく調べたんだから何とか話題にしようとする。その性格は考えものだな」

「ほんとですよ。気を付けた方がいいですよ」

 女性記者に指摘され、「おまえに言われたくねえよ」とむっとした顔をする。女性記者が大先生に向かってにこっとする。大先生が呆れた顔で二人を見る。編集長が場を取り繕うように、大先生に質問する。

「物流も大きな影響を受けたと思うんですが、まず荷主の物流部門にはどんな影響があったんでしょうか?やっぱり、トップからのコスト削減要求が強まったんでしょうか?」

「そうだな、非常に大きな変化が起こった。物流管理という点では新しい時代が幕を開けたと言っていい。これまでを黎明期とすれば、まさにここから成長期に入っていく」

「へー、どんなことが起こったんですか?」女性記者が興味深そうな顔で聞く。

「さて、何が起こったか?」

 大先生が焦らすように言う。編集長が「おれは知ってるぞ」とでも言いたげな顔で大きくうなずく。

「編集長は分かってるんだ?それでは、そのころの経営のキーワードは何だったかも知ってる?」

 編集長が小首をかしげながら、思い切ったように言う。

「実は、分かっていません。経営のキーワードですか、えーと、企業構造改革とか?」

「当たらずといえども遠からずという答えを捻り出すのが編集長は得意だな」

「そうなんです。でも、当たってはいないんですよね」

 女性記者の言葉に編集長が「おまえな」と文句を言おうとするのを大先生が遮る。

「ほんとに二人は仲がいいな。それはいいとして、えーと、何の話をしてたんだっけ?」

「キーワードです。当時の経営の。それは何だったんですか?」

 女性記者が即座に答え、興味深そうに大先生の顔をじっと見る。大先生が戸惑った顔をする。

「あー、そうだった。いや、別に大したことではない。そんなに見つめられても困る」

「何照れてるんですか? 何なんですか、そのキーワードというのは?」

 編集長に促され、大先生が、それまで黙って聞いていた弟子たちを見る。美人弟子が、にこっと笑って、答える。

「多分、減量経営という言葉だと思います。私も実感はありませんが、調べたところ、その石油危機により日本経済が大幅に落ち込んだ上、石油価格上昇によって企業の収益はかなり悪化したようです。そこで、緊急避難的な措置として、一時帰休や資産売却、さらに投資の抑制、在庫の圧縮、雇用調整などが進められたようです。つまり、固定費の徹底的な引き下げが行われたわけです」

「なるほど、ヒト、モノ、カネという経営資源を減らしたってわけですね。それで減量経営か・・・」

 

◆物流子会社の生みの親は減量経営

 編集長が納得したような声を出す。大先生がちゃかすように言う。

「あれ、編集長は、いろいろ調べたって言うけど、減量経営については調べた中に入ってなかったんだ」

「いや、私は、むしろ国民生活の方を中心に調べたものですから。そっちの方が面白いですし・・・」

 女性記者が何か言おうとするのを編集長が慌てて止める。美人弟子が「確かに、国民生活に起こった出来事の方が面白いですよね」とフォローする。「ですよね」と編集長が大きくうなずく。

「そういう状況ですと、物流への影響も大きかったはずですね」

 女性記者が、改まった感じで大先生に聞く。大先生が編集長を見て質問する。

「さて、物流では何が起こったか、編集長の当らずといえども遠からずの答えは何かな?」

 編集長が、わざとらしく「うーん」と言って天井を見て、ちょっと間を置いて答える。

「物流施設の廃棄などできないから、うーん、物流をやらなくなった・・・なんてことはないな。あっ、人の減量ですね、きっと。物流業者に人もろともアウトソーシングした、なんてことはさすがに、その当時はまだないか・・・」

「なに、ぶつぶつ言ってるんですか。びしっと答えを言ってください」

 女性記者に発破を掛けられ、編集長が「そうは言っても」とつぶやいた途端、何かに思い当たったように、「そうか」と大きな声を出す。

「ほー、分かったようだ。それで?」

 大先生に促されて、編集長がうなずいて答える。

「もしかしたら、それは、物流子会社の誕生じゃないですか?」

「ピンポン。今度は当った」

 大先生が大きな声を出す。弟子たちが拍手する。女性記者が「当ったんですか」と意外そうな顔をする。

「へー、物流子会社の生みの親は減量経営だったんですか‥‥」

 編集長の驚きの混じった言葉に大先生が大きくうなずいた。